2020年度前期発表3 日本の新宗教(戦後編)
実松克義 2020年6月6日(土)現代研究会
日本の新宗教(戦後編)
Ⅰ.はじめに
統計資料が示すところによれば、日本人はとても宗教と関係の深い民族であるようだ。文化庁編『宗教年鑑』(2018年度版)によれば現代日本には181,252もの宗教法人が存在する。その他にも相当数の非法人団体が存在するようである。これらの一割あるいはそれ以上が新宗教であると考えられているので、おそらくは二万以上の新宗教が存在すると思われる。
新宗教とは何か?その歴史とはどういうものか?何故出現したのか?ここでは主に戦後日本の新宗教現象に限って論じてみたい。
Ⅱ.新宗教の定義
「新宗教」の厳密な定義はむずかしい。ここでは一応「日本の近代あるいは現代において新しく誕生した独自の教義を持つ宗教集団」と定義しておこう。
Ⅲ.新宗教の系列
どのような新宗教があるのか?
『宗教年鑑』に倣えば新宗教は大きく分けて四つの系列に分類される。(1)神道系、(2)仏教系、(3)キリスト教系、(4)その他、である。(1)神道系の新宗教は非常に古く、江戸末期に起源を持つものもある。黒住教、天理教、金光教、大本、PL教団、生長の家、世界救世教、円応教、世界真光文明教団などがある。(2)仏教系の新宗教の大半は明治以降のものだが、規模の大きなものが多い。創価学会、霊友会、立正佼成会、正信会、浄土真宗華光会、仏眼宗、一切宗、真如苑、阿含宗などがある。(1)(2)で日本の新宗教の大半を占める。(3)キリスト教系は外来のものが多く、モルモン教、エホバの証人、統一教会などが知られている。(4)その他、として知名度が高いものに、バハイ教、アハマディア、サイエントロジー、幸福の科学などがある。
Ⅳ.新宗教の歴史(戦後)
戦後日本においてどのような新宗教が現れたのか?あるいは注目されたのか?戦後日本の新宗教の歴史を、筆者の独断で、次の五つの段階に分けて略述する。
第一世代(神々のラッシュアワー)、第二世代(精神世界の目覚め)、第三世代(小さな神々、その他)、第四世代(トワイライトゾーン)、第五世代(アニメ宗教?)である。
第一世代 神々のラッシュアワー(1945年~1960年)
1945年8月15日、日本は連合国に無条件降伏した。度重なる無差別空襲のため日本国土は無残な廃墟と化した。すべてはここから始まる。この敗戦直後に多くの新宗教が雨後の筍のように芽生えた。これらの多くはすでに戦前から存在していたものである。それが急成長したのだ。アメリカの社会学者H.N.マクファーランドはこれを「神々のラッシュアワー」と呼んだ。これらは新興宗教と呼ばれるが、主なものとして創価学会、霊友会、立正佼成会、生長の家、天照皇大神宮教、大山祗命神示教会、PL教団、世界救世教、璽宇などがある。中でも創価学会、霊友会、立正佼成会は敗戦直後の混沌の中で巨大宗教に成長した団体である。創価学会の発祥は地理学者、牧口常三郎によって1930年に創立された「創価教育学会」である。牧口及び幹部は妥協のない神道批判を行ったため投獄されるが、弟子の戸田城聖が戦後「創価学会」と改名し、『法華経』と日蓮の教えを武器に強力な「折伏」活動を行い教団の基盤を作った。そして三代目会長の池田大作のとき巨大宗教となる。
第二世代 精神世界の目覚め(1965年~1975年)
瓦礫の中で再出発した日本は短期間のうちに驚くべき復興を遂げた。1964年に開催された東京オリンピックはその象徴である。再軍備を禁じられた日本は全精力を経済発展に注入した。そして1968年にはアメリカに次ぐ世界第二の経済大国となった。だがこの高度経済成長は同時にまた大きな社会的・人間的犠牲を伴っていた。さらにはまた1960年代後半は世界的にも激動の時代であった。このころ新しいタイプの新宗教が現れる。GLA総合本部、阿含宗はその代表である。これらは新新宗教と呼ばれた。高橋信次によって創立されたGLA総合本部は高次霊の導きによる「人間の調和と進歩」を究極の目標とした。また桐山靖雄が創始した阿含宗は『阿含経』を聖典とし、密教的修業による因縁解脱を唱えた。
第三世代 小さな神々、その他(1975年~1985年)
高度経済成長後に訪れたこの移行期は「しらけの時代」とも呼ばれる。この時何故か小さな宗教集団が社会的注目を集めた。これらは「小さな神々」と呼ばれたが、よく名前を知られているものに光明の会、人命愛心会、日本聖送教団、竜宮フェローシップ、観音堂、イエスの方舟などがある。とりわけ千石剛賢が創立したキリスト教集団「イエスの方舟」は、家出をした若い女性が多く入信したため、メディアの異常な関心を呼ぶことになった。またこの時代にはモルモン教、エホバの証人、統一教会などの外来新宗教、そして真如苑などの一部の大規模教団が注目された。
第四世代 トワイライトゾーン(1985年~1995年)
1980年代後半、日本は戦後二度目の高度経済成長を経験する。だがこれは地価高騰、土地ころがし、投機、先物取引などに象徴されるように、経済の実質を伴ったものではなかった。それ故に「バブル経済」と呼ばれるが、急速に膨張しそして崩壊した。この時代に誕生した新宗教にオウム真理教、幸福の科学がある。麻原彰晃(松本智津夫)が創始したオウム真理教は「修業による解脱」を説いて急成長するが、洗脳と暴力のデカダンスに陥り、最後には終末思想のテロ組織と化した。1995年3月20日に起きた「地下鉄サリン事件」は日本社会を根底から揺るがす大事件であった。同時代に大川隆法が創立した幸福の科学はそれまでの日本の新宗教とはかなり性格を異にする。至高神「エル・カンターレ」の降臨による地上ユートピアの建設を目指したこの教団は、テクノロジーとメディアを利用した巧みな布教によって勢力を拡大した。
第五世代 アニメ宗教?(1995年~)
オウム真理教と「地下鉄サリン事件」は日本人の宗教観を根底から変えた。大半の日本人が宗教嫌悪症となり、それ以降、新宗教は社会の表舞台には現れなくなった。その一方で世界でも類例がない「オタク」文化が誕生し、またアニメ文化が台頭し花開いた。これらアニメ・ストーリーの多くは宗教、聖地、神社などに関わる疑似宗教的テーマを持っている。いくつか例を挙げると、『もののけ姫』(アニミズム)、『らき☆すた』(鷲宮神社)、『ラブライブ!』(神田明神)、『聖☆おにいさん』(キリストとブッダ)などがある。これらを新宗教の一形態とみなすのは無理があるが、どこか通底するものがあるように思われる。
新宗教の現在はどうなのか?
この10年における新宗教の衰退は著しい。日本最大の教団組織である創価学会の会員数は最盛時の半分以下になっているという。巨大教団である霊友会、立正佼成会、天理教なども同様で、信者数が激減している。新宗教は(例外はあるものの)現代では忘れられつつある存在である。
Ⅴ.新宗教は何故出現したか
「戦後」日本の新宗教は何故出現したのか?
段階的に要約したい。
第一世代(神々のラッシュアワー)を生んだのは日本の敗戦である。敗戦はまず物質的飢餓を生んだ。飢えた人々は文字通り「生きる糧」を求めて露頭をさ迷った。したがって新興宗教は人々の飢えを凌ぐ救済として存在したのである。創価学会を急成長させた戸田城聖の辻説法はそのことを雄弁に物語っている。だがそれだけではない。敗戦は旧世界の価値観、また天皇制の崩壊でもあった。日本人はアイデンティティを失ったのである。その結果、精神的飢餓が生じた。新興宗教はその真空地帯を満たすものとして機能したのである。
第二世代(精神世界の目覚め)を生んだのは複合的な要因である。はじめに高度経済成長が払った高価な代償がある。開発の名の下に自然が破壊され、環境汚染(公害)が進んだ。また極限の労働環境は人間を蝕み、正常な家庭生活を奪った。その影響は伝統文化の破壊にまで及んだ。この時代にはまた世界中の若者が共鳴した意識革命があった。ベトナム戦争に端を発するこの社会変革の波は日本においては反戦運動、学生運動として展開した。この時代の新宗教にはこうした「人間疎外」あるいは危機的人間状況を直視した実存的傾向とある種のロマンティシズムが存在するように思われる。
第三世代(小さな神々、その他)はより複雑な時代への移行期である。社会変革運動は挫折した。その結果、人々の関心はより内的な、個人的なものに向かう。価値観が多様化し、真の意味での個人主義がここに始まる。理想はもはや大きな次元では実現できない。「小さな神々」が注目されたのはおそらくそうした理由であろう。
第四世代(トワイライトゾーン)を生み出したのは第二世代で台頭した悪霊の亡霊である。バブル経済は1960年代高度経済成長の再現である。しかし無限成長という前提の上に成立していた砂上の楼閣でもあった。そしてそれが幻想であると人々が気付いた時に崩壊した。バブルの時代の特徴とは「狂気」の一語に尽きるのではないだろうか。この時代に誕生した新宗教は異常な特徴を持っているが、それは別に新宗教に限ったことではない。あらためて当時を振り返ってみて感じるのは、経済、社会また文化そのものが狂気の中にあったということだ。
第五世代(アニメ宗教?)はバブル崩壊以降の社会に誕生したものであるが、特異な時代背景がある。オウムの悪夢によって日本人は宗教から遠ざかった。新宗教に限らず、既存宗教からもまた。しかし宗教が人間にとって本質的な存在である限り、それは何らかの方法で形を変え、スピリチュアリティ(宗教性)として残る。アニメの多くはこうしたスピリチュアリティを陰に陽に語っている。これは個人にとっての宗教、「お一人様用の宗教」とも言える。こうした展開を技術的に可能にしたのは、テクノロジーの進歩とインターネットの出現である。
Ⅵ.まとめ
「戦後」の様々な新宗教の盛衰をあらためて俯瞰してみよう。
その大きな流れから何がわかるのか?
二つのことが言えよう。
一つは新宗教の特色・内容の変化である。新宗教の存在理由は直面する現実的な問題の解決から人間としての精神的充足の希求へとしだいに変化していった。量から質への変化と言ってもよい。例えば第一世代は敗戦によって旧価値観が瓦解した日本社会・文化の真空地帯に増殖し急成長したものである。また第二世代の出現は急速な経済発展の結果蓄積した自然破壊、人間疎外の状況という時代背景を持つ。第四世代はあきらかにバブル期の時代精神の象徴である。オタク文化、アニメ宗教?が流行る現代は不安なアモルフォスの時代である。したがってこれらの新宗教の盛衰はそのまま戦後における日本社会・文化の遷移を反映していると考えられる。その意味で新宗教は時代を映す鏡であるとも言えよう。
もう一つはその変化を通して変わらぬものである。
人間であるとは矛盾を生きるということである。いかなる人間にも問題は存在する。いかなる時代にも問題は存在する。激動期においても平和な時代においても人間は幸福でありかつ不幸である。ただその時代背景が異なるに過ぎない。その意味で、もし新宗教が社会の鏡であるとすれば、それはまたある種の心理療法として社会的役割を担っているのである。実際に既存宗教の大半が形骸化した戦後社会においては、新宗教は現実的諸問題、精神的危機を解決する救済センター、駆け込み寺として機能してきた。多くの失敗と不幸な結末があるが、叡智が暗愚を上回った例もある。
Ⅶ.おわりに
新宗教はこれからどこに行くのか?よくわからない、というのが正直な感想である。現代日本社会は宗教から限りなく遠い位置にある。このまま近未来において新宗教が消滅し、既存宗教もまた消滅してしまうのではないか、という予感さえある。科学とテクノロジーの驚異的な進歩は、宗教、いや宗教性さえも無化しつつある。しかしこれは同時にまた矛盾でもある。ではいったい何がそれにとって代わるのか?新宗教(あるいは現実問題に応えるものとしての宗教)の役割についてはすでに述べた。したがって、もしこの予感が正しいとすれば、この問いへの答えを見つけねばならない。
参考文献:
江川紹子 『オウム事件はなぜ起きたか』(上・下) 新風社 2006年
『カルトの正体』 別冊宝島編集部編 宝島社 2000年
桐山靖雄 『念力』 徳間書店 1973年
『現代の社会と宗教』 責任編集 渡邊直樹 平凡社 2018年
実松克義 「日本とアメリカの新宗教現象」 『見つめあう日本とアメリカ』所収(pp.97-120) 南雲堂 1995年
実松克義 「日本の新宗教について」 比較宗教学・資料(14p.) 2010年
島田裕巳 『日本の10大新宗教』 幻冬舎新書 2007年
高橋信次 『心の発見』 (神理篇) 三宝出版 1971年
西島建男 『新宗教の神々』 講談社現代新書 1988年
『日本宗教事典』 (縮刷版) 弘文堂 1994年
藤田庄市 『オウム真理教事件』 ASAHI NEWS SHOP 1995年
文化庁編 『宗教年鑑』 2018年度版
牧口常三郎 『人生地理学Ⅰ』 聖教文庫 1971年
マクファーランド、H.N.内藤豊・杉本武之訳 『神々のラッシュアワー』 社会思想社 1969年
村上重良 『日本宗教事典』 講談社学術文庫 1988年
村上重良 『新宗教』 岩波現代文庫 2007年
ほか
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