身延山フィールドワーク 感想編

研究会@身延山&「ゆるキャン△」道中記 

小村 明子

 11月23日から24日の2日間に渡って、身延山にて研究会を行った。

 身延町および身延山といえば、日蓮宗の総本山であり聖地でもあるが、アニメファンの間で「ゆるキャン△」の聖地である。せっかくなので、日蓮宗の勉強だけでなくアニメ聖地巡礼も行うことにした。

 身延駅に到着するや否や「ゆるキャン△」聖地巡礼を開始した。最初に、身延駅前の「みのぶまんじゅう」のお店(写真1)に向かう。店内では、如何にもアニメ聖地巡礼者と見られる男性が店内を賑やかにしていた。筆者も同様に物色して、まんじゅうを購入した。しかしながら、この間に、1時間か1時間30分に1本あるかないかの身延山行きの路線バスが出発してしまった。ただし、集合時間には十分に間に合うこともあったために歩いて行くことにした。ところが、この選択は間違っていた。30~40分くらいで到着するだろうと思っていただが、ノートパソコンや書籍などの大荷物を背負っての移動であったこと、田舎道は思っていた以上に道のりがあったこと、など想定外の体力を消耗し、途中何度もギブアップしかけた。遭難しかかると思った頃に身延山久遠寺の参道を示す門まで来ることができた。あとは、道なりに沿って行くだけである。参道道中には「ゆるキャン△」グッズを販売している「武州屋」があり、いかにもアニメファンと見られる男性たちが店内でお茶を飲んでいた。武州屋には帰りに立ち寄ることとして先を急いだが、既に新宿からの高速バスチームが到着し、残りは私一人だけという状況となってしまった。這々の態で樋之沢坊(https://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/stay/n4_8108.html)に到着した。

お寺に行く前から修行(苦行)をしたようであった。

宿坊到着後に、身延山大学教授でもいらっしゃる樋之沢坊の望月先生のご案内による、日蓮和尚の御廟所と御草庵跡を見学した。空気が張り詰めた威厳を感じさせる御草庵跡であった(写真2)。その後、身延山久遠寺三門に向かった。そこでも「ゆるキャン△」と出会う。三門の前に観光案内所があるのだが、「ゆるキャン△」のメインキャラクターとなる5人の立て看が案内所の中にあり、その写真を撮りたいと頼んでみた所、「自分たちで立て掛けるのだったら良いよ」とのお言葉を頂いた。研究会のメンバーで立て看を車止めの円柱にくくりつけて撮影した。アニメ聖地巡礼者と化してしまった。

 この日のアニメ聖地巡礼はここで終了した。次は久遠寺に行くのだが、立ちはだかるのは「菩提梯」と呼ばれる計287段の階段である。既に体力は限界に近いが、結局階段を登ることとなった。とにかく何も考えずに無の境地で登り続けた。境内にはお守りのような「ゆるキャン△」関連のグッズはないが「ゆるキャラ」はあった。「こぞうくん」という名前で、日蓮宗のキャラクターということを聞いた。あとで筆者の講義内で紹介するかもしれないので、もちろんそのキャラクターがついているお守りを購入した。山中の日暮れは早く、宿坊に帰った5時くらいには既に周囲は暗くなっていた。

 宿坊では夕飯前に勉強会を行った。日蓮宗についてである。そもそも日本仏教は様々な要素(道教や儒教など)と融合し、最終的に日本に流入後に神道と融合することで、原初とは異なった要素を有する日本独自の仏教として現在に至っている。複雑な思想形態であるために、なかなか理解しにくいところがある。質問時間では、当初から気になっていた涅槃(ニルヴァーナ)についても質問した。

翌日は、早朝6時からの朝勤を見学した。荘厳な祈りの時間を体感した。なお、以下のYouTube動画でも一部ではあるが中の様子を見ることができる(身延町観光課「みのぶでできる100のこと」https://www.youtube.com/watch?v=GjWlAywyfEs)。また信徒の個別の願い事の祈りは別途場所を変えて御真骨堂の前のお堂内で行っていた。日々の義務としての朝勤の祈りと信徒の願いを届ける祈りは別途分けて行っていることを知り、日蓮宗における本来の祈りの意味を理解した。この後、身延山に登った。と行ってもロープウェイである。身延山頂上には久遠寺奥之院があり、奥之院の建立についてお話を聞くことができた。この日午前中は生憎の曇り空で、頂上では富士山の完全な姿を見ることはなかった。富士山の反対側に行くと、七面山が見える。七面大明神が祀られており、身延山および法華経の根本道場を守護している山でもある。次回は何とかしてあの山に登りたいと思った。

下山をして名物の湯葉蕎麦を食し(写真3)、久遠寺内を望月先生に案内頂いた。やはり修行の山である。春夏秋冬の季節を感じながら、朝早くからのお勤めをこなし、仏の教えを体得しようと努力している僧侶の方々には尊敬の念のみである。日々欲にまみれた筆者には到底出来ないことである。

そんな思いを胸に、身延斬久遠寺を後にしたが、やはり下山するとすぐに煩悩まみれとなる。バスを待っている間、時間があったので、恒例のお土産物色タイムとなった。もちろん、お目当ては武州屋である。この店舗では有名な「ゆるキャン△交通安全守り」を購入した。非常に興味深かったのは、転売防止用に購入者の名前を記入しなければならないことであった。お守りを転売とは不謹慎であるが、あまり相当な人気商品ということでもある。帰りは各駅停車が一番早く到着するというので時間をかけて帰ることにした。その道中の甲斐常葉駅で、アニメ聖地巡礼者が数人、写真を撮るのでも何をするのでもなく、プラットフォームでたむろっていたのを見かけた。

ほぼ「ゆるキャン△」の聖地巡礼フィールドワークで終わった感が否めないが、やはり日本仏教の成立の流れをきちんと学んでおいて来訪すべきことは痛感した。次回は与えられた書籍のみならず、更に仏教を学び、理解を深めるようにしたい。

茂木明石
 報告者は、2019年11月23日(土)~11月24日(日)に実施された身延山フィールドワークに参加した。以下、今回のフィールドワークの体験を通じて、特に印象に残ったことを率直に述べる。
 第一に、身延線から見た山並の景色の素晴らしさである。かつて、モロッコを訪れた時、鉄道に乗ってカサブランカからマラケシュに行ったが、その時に見たアトラス山脈の壮大な山並みを思い出した。晴れていれば、奇麗な景色を楽しみながら旅を楽しめるだろう。
第二に、身延駅からバスで身延山に向かっている時に見た身延山の雄大さである。1000メートル級の山が聳えるさまは、なかなかに壮観である。また、バスに乗りながら、迫りくる身延山の景色を眺めていて思い出したのは、エジプトの首都カイロの貧民街地区で聖者廟めぐりをしていた時に、その地区の背後に聳えるムカッタムの山の光景であった。ムカッタムはカイロの貧民街地区にある山であり、高さはそれほどではなく丘といってもよいほどのものだが、付近から見上げると、その存在感に圧倒される。双方とも、聖山といった趣がある。
第三に、男坂を登りきった後に、坂の上から見た下界の景色である。具体的には、登りきった坂を見降ろした時の恐怖感である。上から見るまでは、この坂を降りて帰ることも若干考えていたが、一目見て下る勇気は消えうせた。とにかく、このとき、坂の上から見た景色には圧倒された。
第四に、平林先生の仏教入門である。特に興味深かったのは、ブッダの教えはブッダが生まれる以前から説かれていたということと、現実の世界でいかに救われるかを重視した法華経の教えである。イスラームでもキリスト教でも、宗教というものは、自らの教えが太古の昔(原初)から存在したと説く。23日の夜は、疲れていて思い出せなかったが、イスラームはアブラハムの信仰の復活であるとされている。また、現世を良く生きることが来世での救いに繋がるというイスラームの考え方は法華経と似ていると今、考えている。
第五に、朝勤での太鼓の響きである。腹の底にまで響きわたるほどの太鼓の音であり、日蓮聖人のエネルギッシュな性格をそのまま伝えているように感じた。また、朝勤全体を通じて、非常に躍動感・活力があふれていると感じた。エジプトのカイロの聖者廟で様々なズィクル(神の名を唱えること)、生誕祭を見てきたが、原理主義の影響からか、カイロの聖者生誕祭は、総じて大人しい。それに比べると、本山の朝勤は、宗祖日蓮のエネルギーを今に伝えているように感じた。
第六に、山頂の北側展望台から見た景色の雄大さである。この光景は、何度か見たことがある。幼いころ、父に連れられて来たのと、おそらくは中学生の時、同級生と来たことがあったはずだ。いずれの時も、山は晴れていたと記憶している。正確にいうと、あの時に乗ったロープウィエがどこのロープウェイだったか記憶が定かではなかったが、24日に山頂に登った時にはっきりと思いだした。
第七に、日蓮が説いた親への孝養についての教えである。イスラームは、親への孝養を強調しているだろうか。その点がやや疑問である。クルアーンでは、孤児に優しくしてやりなさいということを何度も強調されているが、親孝行については特に言及されていなかったように思う。これは、ムハンマドが孤児であったことが大きな影響を与えていると思われるのだが、孤児に限らず子どもを大切にせよという発想がイスラームには強いように思う。仏教とイスラーム教の成立事情の違いであろうか。
以上、特に印象に残ったことのみに言及した。このほかにも、御廟所、山門等、忘れ難いことは多々ある。また、今回のフィールドワークを通じて、エジプトだけに限らず、モロッコ、マレーシア、中国等でのフィールドの経験を思い出し、思いつくままに心の中で比較していた。いろいろと思いだすことの多いフィールドワークであった。

桑原真弓
この度は大変貴重な経験をさせていただき、心より感謝しております。
出発の朝、東京は冷たい雨が降っていましたが、身延山滞在中はお天気に恵まれ、寒さを感じることなく、見事な紅葉の中を散策することができました。
きっと先生方の日頃の行いの良さのおかげだったのでしょうが、何か目に見えないものにも歓迎されているような気持ちになりま
した。
望月先生のお話を私のような知識のない者が伺っても十分に理解できないだろう、参加することはかえって失礼なのではないかと、参加を決めてからもずっと申し訳なく思っておりました。
そんな気持ちで到着したのですが、望月先生はお忙しいにも関わらず、 終始穏やかな笑顔で2日間隅々までご案内くださり、とても楽しく過ごすことができました。
「慈悲深い」とは望月先生のような表情、物腰を言うのだろうかと思い、尊敬の念を抱きました。
お話も明快で素人にも分かりやすく、大変興味深く拝聴しました。
どこまで理解できたかは分かりませんが、本当に面白く、視野が広がったことは間違いありません。
宿坊でいただいた精進料理にも感動しました。
薄味でお肉もお魚もないというと物足りなさを感じそうなものですが、ひとつひとつが大変美味しく、お腹も心も満たされました。
夕食の後、もう朝食が楽しみになっていました。そして、期待以上の朝食をいただきました。
さて、一番心に残っているのは、朝の勤行をしている学生さんたちの姿です。
一心不乱に読経しているその真剣な表情に強く心を動かされ、清々しい気持ちになりました。
同じ年頃の子どもを持つ身ですので、ついわが子たちと比較し、
この学生さんたちの親御さんがこの姿をご覧になったら、とても誇らしく思われるだろうなどと想像をして、胸が熱くなりました。
いつもより大きく動かされたのは心だけではありません。
身延山に到着した時から気になっていた参道から本堂へと続く菩提梯。
余りの急勾配で、それは登るものではなく飾りであるような気がするほどでした。
47歳の誕生日を目前にして、その287段に挑もうとする自分を滑稽に思いましたが、
若い皆さんの勢いにつられて何とか登り切り、達成感を得ることができました。
と同時に、まだその気になれば体も動く(なかなかその気にならないだけ)と妙な自信も得られました。
また、思いがけず写経の面白さも知ることができました。
薄い字で書かれたお経をなぞっていくのですが、一文字一文字書いていくうちに精神統一できるような気持ち良さを感じました。
御祈願の内容ごとに5分ほどで書けるお経の一部が用意されていますが、私は「学徳成就」を選びました。
現代研究会、その他でこれから積極的に学んでいこうとの決意からで、その気持ちを忘れないように、今は仕事机の目の付くところに置いてあります。
今後は 折に触れ 、望月先生はじめ各所でいただいた御朱印も併せて拝見して、あの穏やかな感動にあふれた2日間を思い出し、
俗っぽい日常の中で乱れた気持ちを落ち着かせ、仕事や勉強に励んでいきます。
心を込めて書いてくださったからでしょうか、御朱印帳の「南無妙法蓮華経」の文字は 見ていると心が洗われるようで、 ずっと見ていても何故か飽きないのです。とても不思議な感覚です。
実松先生、平林先生、小村先生のご尽力のおかげで、いつも授業準備に追われるだけの週末が、本当に有意義な時間となりました。
衷心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
神谷暁子
身延山、日蓮と聞いて、恥ずかしながらはじめにWikipediaを読みました。
初めて足を踏み入れる身延の地に若干の緊張はありましたが、迎え入れて下さった望月先生や他の参加者の皆さまのおかげで充実した2日間を過ごさせていただきました。
特に印象に残っているのが、2日目に参加した朝勤です。
早朝5時起床。道中にはお参りの方でしょうか、太鼓を打ち鳴らしながら行列を為して向かう一行を横目に本堂へ向かいます。
まだ暗いうちから本堂に大勢の人が集まります。
大人数での読経、目が覚めるような大音量の大太鼓。普段の生活では体験できない音と光景に、信仰の力強さを感じました。
朝勤を終えて境内に出ると、朝日の眩しさが目にしみます。
本堂の目の前には五重塔がそびえ、その後ろには木々に絡まるように低く雲が広がっています。
私は雲が山にかかる景色が好きなのですが、身延山で見たそれは、一日の始まりに山がゆっくり覚醒しているような気分にさせられました。
初めてのフィールドでしたが、五感を通じて学ぶ意味を少しだけ分かった気がしました。
また身延山の隣の七面山は山岳信仰の対象との事なので、いつか足を運んでみたいです。
素敵な学びの機会を与えてくださった諸先生方、ありがとうございました。

細川けい子

身延山に対してあまり知識もなかった私ですが、専門家とともに行くフィールドワークはとても刺激的でした。

バスで直行便はあるとはいえ、なかなかの立地にあり当時の山籠もり具合を感じました。桜の名所だけあり、要所にしだれ桜の木を見かけ、冬の混み具合でこの桜を見ることができたらとても良いだろうなと。

望月先生や平林先生の講座も、とても分かりやすい言葉で説明していただきとても感謝です。また、朝行自体初めての参加でしたが、迫力がすごかったです。宗派は違いますが、祖父が毎朝1時間程度朝行のようなことをしているのを思い出しました。都会に住んでいるとすべてが無機質で四季や朝や夜があるのかも不安になりますが、祈りという名の信仰が存続していることに安心しました。(東京でも朝行はされていると思いますが、知識がなさ過ぎてすみません。)

本だけの知識だけではなく、実際に巡るのはとても楽しいと実感できました。次も楽しみにしています!

現代研究会

「文化と社会に関する様々なテーマ、諸問題を取り上げ、過去から未来への歴史的視野で考察し、議論を行う」ことがこの研究会の目的です。