2019年後期 発表1 鳥栖市の日本語教育 ―教科「日本語」と地域創生―②教科「日本語」の構想と実践
②教科「日本語」の構想と実践
鳥栖市の地域創生は産業振興を基盤とする一連の事業によって完了したわけではない。さらに未来を見据えて本質的な取り組みを行っている。それが独自の日本語教育の実施である。
2015年6月28日の産経ニュースはこう伝えている。
「日本語」教科化、国際人を養成へ 佐賀・鳥栖市の“教育改革”
人口約7万人の佐賀県鳥栖(とす)市の“教育改革”が注目を集めている。今春から市内全ての小中学校の授業に全国でも珍しい「日本語」を新教科として取り入れたからだ。地域色を前面に出した教科書を独自に作成、論語や武士道を軸に礼儀作法や伝統文化を教えている。かつて日本人が備えていた教養を現代によみがえらせよう-という試みに期待が寄せられている。
科目名を「教科「日本語」」と言う。この種の科目の基礎教育への導入は東京都世田谷区、新潟県新発田市に次いで、全国で三例目であるという。鳥栖市教育員会作成の資料「教科「日本語」」によれば、新科目の目標は以下の通りである。
日本の言語や文化に親しむことにより、日本語の持つ美しさや、日本人がもっている感性、情緒を養い、日本人としての教養を身に付け、我が国の言語や文化を継承し、新たな創造へとつないでいく態度を育てる。
どういう学習をするのだろうか。
〇言語活動を通して、表現力・コミュニケーション能力を身に付ける学習
〇日本の古典や詩歌等の有名な文の朗読・暗唱を通して、日本語の響きやリズムを楽しみ、味わう学習
〇鳥栖市や佐賀県、日本の伝統文化に親しむ学習
〇挨拶の仕方、人と接する時のマナーの大切さを学び、身に付ける学習
具体的学習項目として以下のテーマが挙げられている。
言語:詩、ことわざ、慣用句、方言、等
伝統的言語文化:昔話、神話・伝承、俳句、短歌、漢詩、論語、古文、等
伝統文化:かぞえ歌、伝承あそび、川柳、能楽、狂言、歌舞伎、落語、伝統行事、等
礼儀作法:あいさつ、日本の衣食住文化、(マナー検定)等
これはもはや単なる「日本語」の科目ではない。その中身は、日本語を含む「日本の伝統文化」のカリキュラムである。
鳥栖市はこの科目のために、小学1・2年用、3・4年用、5・6年用、中学用、合計4冊の教科書を作成した。授業時間は小学1・2年では年間20時間、3~6年では35時間、中学1年では20時間、2・3年では35時間である。これらの時間は国語、生活科等を一部削って捻出される。
「教科「日本語」」は平成22年より開始された小中一貫教育の一環として実施されている。
何故このような試みがなされたのか。
鳥栖市教育委員会作成の資料「教科「日本語」 日本語、大好き しりたい つかいたい つたえたい」によれば、鳥栖市(の教育)における今日的課題として、(1)学力、(2)国際化への対応、(3)鳥栖市を愛する子どもに、(4)中学校進学、(5)小中一貫教育の5つがある。
私見を交えて少し説明を加えてみよう。
(1)学力
コンピュータとインターネットの出現がもたらした文化の劣化は、鳥栖市に限らず日本中で(いや世界中で)深刻な問題になりつつある。教育の分野では学力の低下として現れる。いまやスマホ世代の子供たちはほとんど本を読まない。またあまり文章を書くこともない。耳から入る情報だけに頼って生きている。その結果、いわゆる「教養」と呼ばれる、人間の精神生活を豊かにする知識は急速に消えつつある。日本人が自らの歴史と文化について何も知らないという時代がすぐそこまで来ているのだ。
(2)国際化への対応
2019年4月より新しい外国人材受け入れ制度が始まった。来日外国人とのコミュニケーションは、好むと好まざるを問わず、日本人が直面する大きな試練である。英語その他の外国語の知識が必要になるのは言うまでもない。しかしその舞台は日本国内である。来日する外国人には適切な日本語教育を施さなければならない。また彼らに日本語で日本について説明しなければならない。その時最も必要になるのは日本の文化と歴史についての知識、また日本語によるコミュニケーション能力であろう。
(3)鳥栖市を愛する子どもに
故郷への愛は地域創生の根本に関わるものである。資料には鳥栖市として「めざす子ども像」が次のように描かれている。
「ふるさとを愛し、ふるさとに誇りを持ち、よりよい社会の形成者としての資質能力をもった鳥栖っ子」の育成
地域として当然の目標であるが、これまであまり声高には叫ばれてこなかった。大和王権の時代から日本人は顕著な中央志向を持っていた。文化の花が咲くのは都であり首都であった。地方は文化的な僻地であった。この意識が現在の地方衰退を生み出した遠因である。だが歴史を調べてみると、日本の地方はすべて古い歴史を持ち、とくに九州は最初に大陸文化の影響を受けたところである。鳥栖市もその例に漏れない。鳥栖市は『魏志倭人伝』に「對蘇(つさ)」という名で登場する。大和政権時代には「鳥巣(とりのす)」と呼ばれ、養鶏業が盛んで、飼育した鳥を天皇に献上していた。現在の地名である「鳥栖」はここに由来するという。江戸時代には対馬藩の飛び地、田代領となり、長崎街道の宿場町として栄えた。また朝鮮から原料を輸入して漢方薬の製造を始め、田代売薬として日本四大売薬の一つとなった。鳥栖市はまた交通の要所にあり、1889年に博多との間に九州最初の鉄道路線が敷かれたことでも知られる。
ふるさとへの愛と誇りはこうした郷土の歴史と文化を知ることから始まる。
(4)中学校進学
極めて切実な問題である。鳥栖市の子供たちの、市外の中学校への進学率は年々大きくなっているという。より大きな観点では、これは必ずしも悪いことではないが、それが一方的な「頭脳流出」を意味するのであれば憂慮すべきことである。何よりも鳥栖市の教育そのものを改善し魅力あるものにしなければならない。(より一般的に言えば、鳥栖市全体として若者の転出の多さという問題がある。鳥栖市の人口増は転入者が転出者を上回っていることによるが、15~25歳では逆転し、転出超過であるという。これをどう改善できるのか、鳥栖市の真の実力が問われている。)
(5)小中一貫教育
鳥栖市は、義務教育カリキュラムを効果的にし、より魅力あるものにするために平成22年度より小中一貫教育を開始した。小学校・中学校の教育の一元化は、長期教育ビジョン、統一シラバス、教授法、個別指導、カウンセリング等に関して多くのメリットをもたらすだろう。これは世界の教育「先進国」においても採用されている教育制度である。
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