2019年度前期 発表5 創造と刷新―マヤ民族の時間思想について―

実松克義
    
時間とは何だろうか?普段は意識することもないが、あらためて考えてみると、よくわからないものである。仕事や勉強で忙しい人は、時間が経つのが速い、時間が足りないと言う。逆に、暇を持て余している人は、時間が経つのが遅い、毎日が退屈だと言う。また別な人は、時間などというものはない、あるのは現在だけだと言う。どれもそれぞれもっともな意見である。時間とはあるようでなく、ないようである、またそのどちらでもない、何とも得体がしれないものだ。だがそれでも時間は過ぎて行く。つい先ほどまで昨日だと思っていたら、いつの間にか今日になっている。今日が過ぎればやがて明日が来るだろう。そう思わざるを得ない。すべてのものは変化している。その変化を通して流れているものが時間なのか。それともただの錯覚なのか。

ここに時間を世界の本質とみなし、独自の時間思想の上に文化を構築した民族がいる。マヤ民族である。それがどういうものであるかを見てみよう。

中米マヤ地域にはかつてマヤ文明が栄えた。現在でもその末裔が住み、古代からの伝統を受け継いでいる。マヤ人はよく「時間を哲学した民族」だと言われる。この表現が適切かどうかはともかく、彼らは極めて理知的な傾向を持つ人々であった。その理由は定かではないが、異常とも言える情熱をもって天体を観測し、高度な天文学を発達させた。またその基礎としての数学を発達させた。その結果、多くのカレンダーを製作した。その中で最もよく知られているものに、太陽暦、神聖暦及び長期計算法の三つがある。太陽暦は1年、365日周期のカレンダーである。神聖暦は260日周期のカレンダーである。一方、長期計算法は約5125年という大周期のカレンダーである。

これらのカレンダーはどういうものか。

マヤ太陽暦は1太陽年を表すカレンダーである。このカレンダーの起源は農業暦である。だがマヤ文明の成立とともに、社会生活、年中行事、あるいは政治のために不可欠な暦となった。マヤ人は1年の長さを365.2420日と計算した。これは現代天文学の365.24218日に極めて近い。満足な観測装置を持たなかった古代人がいかにしてこれほど正確な数値を算出できたのかは謎である。マヤ太陽暦の周期は365日で、現代世界で使われているグレゴリオ暦と同じである。だがその内部構成は20日x18か月+5日=365日である。グレゴリオ暦と異なり、マヤ太陽暦の1か月は20日である。その理由はマヤ人が20進法を使ったことによる。最初の月は名前をポップと言い、最後の月はクムクと言う。余った5日をウァィエブと言い、マヤ語で「待つ」という意味である。この期間の最後に年の神マムが交代する。グレゴリオ暦では、累積誤差を修正するために、4年に一度366日の閏年を設ける。マヤの方法は異なっていた。代わりに52年に一度13日の追加期間(大ウァィエブ)を設けて調整を行ったようである。

マヤ神聖暦は最も重要なマヤ・カレンダーである。このカレンダーの起源も農業暦であるが、マヤ宗教、スピリチュアリティを表すものとして発展した。神聖暦の内部構成は20日x13サイクル=260日である。何故260日であるかについては、マヤ文明発祥の地、グアテマラ―メキシコ太平洋岸の北緯14.5~15度における太陽の回帰を表すという説がある。基本単位である20日を「20ナワール」と言う。グアテマラ・マヤの伝統では次のようになる。

1.バッツ、2.エー、3.アッハ、4.イッシュ、5.ツィキン、6.アハマック、7.ノッホ、8.ティハッシュ、9.カウーク、10.アッハプ、11.イモッシュ、12.イック、13.アカバル、14.カット、15.カン、16.カメー、17.キエッヒ、18.カニール、19.トッホ、20.ツィ

ナワールとはマヤ(キチェー)語でスピリット、精神、叡智という意味である。これらのナワールはすべて異なった意味、特徴、性格を持っている。つまりただの物理的な日ではなく、スピリットを持った日である。例えば最初の五つについて述べると、バッツは撚糸、始まり、統一、エーは道、運命、旅、アッハはトウモロコシの茎、種まき、家庭、イッシュは大地、マヤの祭壇、ジャガー、ツィキンは鳥、よいこと、お金等を意味する。

これらの20ナワールは交代で毎日を統括する。またナワールはエネルギーを持っていて、1(最小)と13(最大)の間で変動する。例えば神聖暦では今日(2019年7月4日)は11カメーである。これはこの日のナワールがカメーでそのエネルギー・レベルが11という意味である。カメーは死、静寂、再生を意味するナワールである。11はかなり強いエネルギーである。神聖暦は、明日は12キエッヒ、明後日は13カニール、明々後日は1トッホというように進む。ナワールはツィまで来ると最初のバッツに戻る。エネルギー・レベルは13まで来ると1に戻る。この20ナワールが13回繰り返されると神聖暦の1年が終わる。

20ナワールの考えは日本の暦注、六曜(先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口)に似ている。しかし六曜が慣習、迷信に留まるのに対し、20ナワールはマヤ文化の根本原理である。古代マヤ人は本気で日のスピリット、時間が世界の根源であると考え、それをカレンダーとして表現した。

ナワールはマヤ文化の世界観が生み出した思想概念である。それぞれのナワールは顕著な特徴を持つが、複雑なルーツを持っている。そこには神話伝承、天文学、数秘術、動物信仰、植物信仰、人体、歴史的経験などが含まれている。例えば、アッハの基本的意味はトウモロコシの茎であるが、マヤ神話『ポップ・ヴフ』において、双子の英雄フナプとイシュバランケが冥界シバルバーに降りる前に祖母イシュムカネの家の土間に植えた聖なるトウモロコシの茎を意味する。フナプとイシュバランケはシバルバーにおいて一度死ぬ、だが復活する。そのたびにトウモロコシの茎は枯れ、また再び芽を出す。このナワールは人間性の勝利と世界の豊穣を表している。

20ナワールはマヤ文化のアルファでありオメガである。マヤ人は人間の全要素と歴史的経験を20に類型化し、要約しようとした。その意味で20ナワールは、時間として表現されたマヤ思想の「曼荼羅」とでも言えるものである。

マヤ神聖暦は多くのシンボリズムを持っている。マヤ文化において20は男性数であり13は女性数である。それを掛け合わせた260日は女性の妊娠期間を表す。神聖暦の元旦は8バッツである。何故8日か。それが男女の手足の合計、つまり性行為を表しているからである。マヤのシャーマンは口を揃えて神聖暦は生命の神秘を表していると言う。

マヤ太陽暦、神聖暦の起源は恐ろしく古いようだ。最初のマヤ文明の成立(紀元前2000年頃)までさかのぼる可能性がある。またこの両者は同時に成立したという説もある。

マヤ・カレンダーの中で最も知られているのは長期計算法であろう。このカレンダーは古代マヤの碑文の中に使われている。長期計算法では、ある起点からの日数が二十進法のヴァリエーションで表されている。その意味で西暦に似ている。この起点は4アハウ、8クムクという日である。西暦に換算すると紀元前3114年8月11日(GMT)になる。この日は世界創造の日として知られる。もちろん神話上の日である。長期計算法の起源はかなり古いと思われるが、石碑(ステラ)に現れ始めるのはマヤ先古典期後期になってからである。

このカレンダーは13バクトゥン(約5125年)という長大な周期を持っている。何故このような長さが必要だったのかは不明である。このカレンダーはマヤ王権の成立、発展と深い関係にあるようだ。為政者は競って石碑に重要な出来事の日時を刻んだ。そこには明らかな政治的意図が見られるが、その根底には歴史意識、進歩の概念が含まれているように思う。

長期計算法の大周期は2012年12月21日に終わった。いわゆる「マヤ暦の終焉」である。アメリカでは、ニューエイジ系の人々がこれを世界滅亡(ハルマゲドン)と結び付けたため、社会的パニックが起き、NASAがホームページにそれを否定するメッセージを載せる事態になった。幸いにも世界は滅びなかった。実際はこの日に長期計算法が刷新されただけである。マヤのシャーマンはこの文明の狂気をどう思っただろうか。

マヤ・カレンダーとして表現されたマヤ時間思想の特色とは何か。言い換えれば、マヤ人が考えた時間とは何か。
以下の5つに要約されよう。

1)サイクル
2)生命の火
3)エネルギー
4)叡智
5)歴史

1)時間とはサイクルである。古代マヤ人は自然の中にある無数のサイクル(周期)を発見し、その神秘に魅せられた。とりわけ天体の運動を詳細に観測し、それを数理的に解明しようとした。最後にはサイクルとサイクルの間の関係、より深いサイクルの謎を解明しようとした。

2)彼らが到達した結論の一つは、時間が生きとし生けるものに生命の火を吹き込む存在であるということである。時間は誕生時に人間の身体に生命の火を吹き込む。この生命の火は生きている間燃え続け、死とともに消える。

3)したがって時間とは、変化の度合いや計測の尺度といった抽象的概念ではなく、エネルギーを持った実体ある存在である。それは現実世界を創り出す力であり、実際にマヤのシャーマンはその力を使って病気の治療や祈祷を行う。

4)しかし時間は無秩序に作用するエネルギーではない。古代人は考察を深める過程でそこに隠されている調和的な力、叡智の存在に気付いた。そこから20ナワールという知識の体系を構築した。叡智としての時間は強い倫理性を持つものである。

5)最後は時間と人間の関わりである。時間は世界の創造者であるが、被創造者の人間もまたその展開に関わっている。世界は時間によって創造される。だがそれで終わりではない。創造されたものはやがて形骸化し退廃する。だから再創造、つまり刷新が必要となる。そこに人間の役割がある。マヤのシャーマンは儀式を行い、20ナワールに刷新を祈念する。むろんこれは儀式に留まらない。社会的実践においてもそうである。世界のよりよい調和を求めて人間は努力を重ねる。その結果が歴史である。
以上がマヤ時間思想のあらましである。

マヤ時間思想は世界でも類例のないものである。西洋的時間観に馴染んでいる人間はその異質さに戸惑うだろう。そして忘れようとするだろう。物事をどう捉えるのかは個人の自由である。だが世界は広い。時間に関しても様々な考えがある。では他文化との比較においてマヤ時間思想の特徴とは何か。それはマヤ人が独創的な問題意識をもって世界認識をしたということである。西洋的世界観においては、時間はあくまで森羅万象の変化、あるいは生生流転を表したものである。時間は「経過する」。だが主体性はなく、それ以上のものではない。しかしそれが実は世界の根源的存在であり、エネルギーを持っていて、実際にこの現実を創出しているとしたらどうなるのだろうか。人間の世界認識はそのままであることができるだろうか。

マヤ的時間観によれば、人間は時間によって生成された存在である。生きている間、この世がどういうものであるかを眺め、苦楽の経験をして、やがて死とともに何処ともなく消えてゆく。このことは何を意味するのか。あるいは何の意味もないのか。
時間とは実に不思議なものである。

現代研究会

「文化と社会に関する様々なテーマ、諸問題を取り上げ、過去から未来への歴史的視野で考察し、議論を行う」ことがこの研究会の目的です。