後期テーマ:「地域創生」発表1⑥神山プロジェクト

⑥神山プロジェクト
四国、徳島県の、吉野川と並行して流れる、鮎喰川(あくいがわ)上流域に神山町と言う自治体がある。面積は173.30km2、人口は5,346人(2018年11月1日現在)*である。県庁所在地の徳島市まで車で約1時間、風光明媚で静かな山間の町である。この地域はかつて地域交通の要所であり、「粟生の里(阿波の語源)」と呼ばれ、粟などを作りながら古代から人々が居住していた。現在でも農業が主産業であり、すだちの生産は日本一である。古い伝統文化を持つ地域であり、江戸時代から明治にかけては、農民の娯楽として阿波人形浄瑠璃が上演されていた。神山町は五つの村々を統合して1955年に誕生した。当時の人口は20,502人である。だが日本の地方の過疎化はこの牧歌的な自治体にも容赦なく押し寄せ、その後、人口は減り続け、現在はその4分の1まで減少してしまった。増田レポートによれば、2040年の予想総人口は2,181人で、若年女性人口変化率は―82.6%、徳島県では二番目に過疎が進んでいる自治体である。

それだけならば神山町は日本各地にあるありふれた消滅可能性自治体にすぎないが、ここで取り上げる理由は、この町が日本の将来の地域社会の在り方を変えるかもしれない実験的な地域創生を行っているからである。この地域創生は「神山プロジェクト」と呼ばれる。神山プロジェクトはNPO法人グリーンバレーが中心となって推進されてきた地域活性化運動である。これまでの地域創生の経緯を『神山プロジェクトという可能性~地方創生、循環の未来について~』(NPO法人グリーンバレー/信時正人共著、廣済堂出版、2016年)その他を参考に叙述してみよう。グリーンバレーは地元出身の大南信也氏他数名が中心となって設立されたNPOである。

ことの発端は一体の青い目のアメリカ人形であった。この人形は1927年に友好親善を目的としてアメリカから日本に送られた12,739体の一つである。大南氏は偶然それを1990年のPTA会合の際、神山町神領小学校で目にする。持っていたパスポートから、この人形は名前をアリスと言い、アメリカ、ペンシルヴァニア州ウィルキンスバーグの出身であることがわかった。大南氏はウィルキンスバーグ市長に手紙を書き、もらった返事から送り主の親戚が存命であることを知る。やがて「アリス里帰り推進委員会」が作られ、青い目の人形は1991年に里帰りした。人形を送り届けた30人の訪問団は現地で大歓迎を受けた。この訪問団の中心メンバーに大南信也、佐藤英雄、岩丸潔、森昌槻の諸氏がいた。彼らは後年、NPO法人グリーンバレーを立ち上げ、神山プロジェクトを実施することになる。

その翌年、1992年に、大南氏らは神山町国際交流協会を発足させる。目的は国際交流を契機とした故郷、神山町の活性化、復興であった。様々な試みが行われた。しかしことは思うようには進展しなかった。そういう時チャンスが訪れる。1997年、徳島県が神山町地域に「とくしま国際文化村」構想を発表したのである。それを知った大南氏らは県にプロジェクト案を提案し、その実施を勝ち取る。プロジェクトは環境と芸術の二分野から成り、環境では「アドプト・ア・ハイウェイ」プログラムの実施、また芸術では国際文化村の建設を目指した。アドプト・ア・ハイウェイはアメリカ発祥のボランティアによる道路環境美化プログラムである。だが神山町を大きく変化させることになるのは後者である。1999年に「神山アーティスト・イン・レジデンス」が開始された。これは毎年3名のアーティスト(日本人1名、外国人2名)を招待し、神山に長期間住み、地域住民支援の下に作品を製作してもらおうというものである。この企画の実施は大変だったようだ。著名なアーティストを呼ぶには多額の資金が要るが、そんなお金があるわけがない。だが幸い神山には多くの空き家があり、無料で住む家を提供することができた。ただし往復の交通費は自費である。そうした条件でも優れたアーティストはやってきた。アーティスト・イン・レジデンスは現在も続き、毎年170人もの応募があるという。

2004年、アーティスト・イン・レジデンスが軌道に乗った頃、大南氏らはNPO法人グリーンバレーを立ち上げる。これは前述の神山町国際交流協会を発展させたものである。

大南氏らが次に目指したのはビジネスの創生であった。アーティスト・イン・レジデンスはそれなりの成果を収めた。しかし真の地域創生を成し遂げるには永住者を増やさなければならないが、それには、芸術村の開設、芸術イベントの実施だけでは不十分である。やはり地元に本格的な雇用を生み出す必要がある。このプロジェクトはワーク・イン・レジデンスと名付けられた。ではいかにしてビジネスの創生をするのか。現代の起業においては情報発信が不可欠である。大南氏らは総務省のモデル事業を獲得し、まず「イン神山」というウェブサイトを構築する。そこに「神山で暮らす」というページを設け、町の魅力を空き家情報とともに掲載する。その手ごたえから、多くの人々が神山に注目していることに気付いた。その時、大南氏らが考えた方法は驚くべきものであった。

町内の上角(うえつの)商店街には、以前は38軒もの店が開業していたが、徳島市近隣に量販店、スーパー等ができたために、2008年には6軒にまで減っていた。そこで空き家になっていた店舗を改装し、サテライト・オフィスとして再生させた。そしてその一つ一つをワーク・イン・レジデンスで募集した人々で埋めていったのである。何故そんなことができたのか。もちろん大南氏らの卓抜なアイディアもあろう。だがおそらく最大の理由は優れたインターネット環境の存在である。徳島県は財政的に決して潤沢ではないが、進取の気性に富むところがあり、日本最高レベルの高速通信網が整備されていることで知られる。これは幸運なことであった。大南氏らはそれを利用して、大都市でなくても実施できるビジネスの創生を実現したのである。

その後、グリーンバレーが種をまいた地域創生、すなわち「神山プロジェクト」は堰を切ったかのように加速する。美しい日本の田舎、神山に住みたい、そこでビジネスをしたいという、夢と希望を持つ人々が日本中からやってくる。個人だけではなく、企業もまた神山に関心を示し、オフィスを持ち始める。名刺管理会社、テレビ番組情報配信会社等、雇用を生み出す企業も参画した。同時にまた規模が大きくなるにつれて地域内外の多くの人々を巻き込み、大きなうねりとなった。積極的移住・起業を教育・促進するプロジェクトも始まった。2010年に開講した「神山塾」である。これは正式には厚生労働省所管の職業訓練事業である。参加者は神山町での起業に関して、六か月の研修を受ける。クリエーター経験のある、あるいは特殊技能を持った20代後半~30代前半の、東京近郊出身の女性が多いという。参加者の約半数が終了後も町に残り、何らかの職業に就くという。

神山町の挑戦は現在も続いている。仕事をする際に、場所や距離が障害にならなければ、豊かな自然があり、通勤ラッシュもない田舎の方がよいに決まっている。神山プロジェクトの成功はそれを具体的に証明した。その結果、この超過疎の町で、2011年には(一時的にではあるが)転入者数が転出者数を上回ることになる。

筆者が神山プロジェクトのことを知ったのは、地域創生について調べていて、たまたま大学の図書館で見付けた本に『神山プロジェクト 未来の働き方を実験する』(篠原匡著、日経BP社、2014年)があったからである。この本は神山に魅せられて移住し、新生活を構築した人々のルポタージュである。それぞれの人に個人的な経緯とドラマがあり、興味深い内容であった。また文化的、精神的逼塞状況にある現代日本には稀有な明るさと活気を感じ、そこで何が起きているのかを知りたいと思った。

神山町の地域創生はどういう特色を持っているのか。

はじめに言えるのは、やはりそれが行政主導の町興しではないということだろう。神山プロジェクトは大南氏らが設立したNPO法人グリーンバレーが主導したものである。当初、神山町役場も徳島県も大南氏らの試みを理解できず、冷めた目で見ていた。だが結果としてそれがよかった。ひも付きではない自由な発想で実施できたからである。やがて地域社会は、時間とともにその主旨を理解し、協力を惜しまなくなってゆく。

行政による地域開発について、大南氏は興味深い体験を語っている。彼は若い頃、スタンフォード大学に留学した。帰国後、父の代からの家業である建設業を継ぐ。山間の地、神山町は昔から交通の便が悪い所である。そこで住民の要望に応えて、公共事業が行われ、立派な道路が造られる。交通の便は格段に改善された。だがそれで町が栄えることはなく、むしろ多くの人々が―皮肉にも―その道路を通って町を離れたのである。何故か。神山町に、人を呼び込む魅力、住むに値する付加価値がなかったからだ。整備された道路は無力さを露出させたにすぎない。

そうした教訓から大南氏らは、この過疎の地域に人々が集まれる条件と価値を創り出そうと試みる。大南氏の表現を借りれば、「本物」を創り出そうとした。遠隔地であっても、「本物」があれば、人々は自然とそこに集まる。例えて言えば、「本物」の美味しい料理を出すレストランは遠くにあっても繁盛している。だが神山町の場合、その「本物」とは何か。残念ながらここには雇用を生み出す目ぼしい産業も、京都や奈良、あるいは臼杵に匹敵するような文化遺産もない。だがまてよ、日本のどこにも引けを取らない美しい「本物」の自然環境があるではないか。それで十分ではないのか。その他の「本物」はこれから創って行けばよいのではないのか。
この逆転の発想が神山プロジェクトを貫いている理念である。大南氏は自らの発想を「創造的過疎」と呼ぶ。過疎は過疎として受け入れよう。現在起きていることは日本社会の構造的な問題であり、変えようがない。だから量ではなく質で勝負しよう。すると負の遺産を大きな資産へと転換させることもできるのだ。大南氏の頭の中には若い時に見たシリコンバレーの記憶がある。NPO法人グリーンバレーという名称は何となく類似のイメージを想起させる。知られているように、シリコンバレーはカリフォルニア州サンフランシスコ、ベイエリア南部の半導体メーカー、IT企業が集合する産業都市である。

神山プロジェクトは、自然以外にはこれといった資源も産業も文化遺産もない地域でも十分に社会の発展が可能であることを実証した。この発展はいままでの地域の発展とはまったく異なる。そこに住む人々の情熱と知恵、そして最先端の科学技術が結び付いたのである。通常、都市や集落は空間的な相関関係の中で成立し、発展する。すなわち地理的な要因があり、そこからコミュニティとしての文化と歴史が創られる。現在神山町で起きている多くのことはそうした既存のプロセス、制約から自由であるようである。もちろん人間は生身の存在であり、社会を構成して生きている。したがって隣近所のつながり、人間関係は当然存在するが、同時にまた時空を超えて進行している。それを可能にしたのは現代のIT(ICT)技術、インターネットである。世界のどこにいても瞬時にして誰とでも交信でき、またあらゆる仕事を成し遂げることができる。そして神山は自然の中にあるコミュニティである。しばらく前まで、誰がこうした可能性を予想できたであろうか。その意味で神山プロジェクトは日本の未来を先取りした実験都市と言えるだろう。

正直に言えば、神山プロジェクトに関しては、筆者が理解できる側面と、想像を超えた側面とがある。この嘘のような本当の話はやはり本当に起きたことである。筆者はまだ神山町に行ったことがない。プロジェクトの関係者と話したこともない。だが理解できるのは、おそらくこのプロジェクトの成功が人的協力の連鎖反応とでも言うべき、誰にも止められない大きな流れを作ったことにあると考える。筆者もまた、より小さな領域ではあるが、そうした流れを経験したことがある。だが想像を超えている側面もある。神山が現代日本における一種の実験都市であることはすでに述べたが、この都市はこれからどうやってより永続性のある社会と文化を創ってゆくのだろうか。またそれはどういう形態になるのであろうか。大南氏は創造性を重視し、それを妨げる要素を極度に嫌っているようだが、これからは周到な計画性も必要ではないのか。そこに一抹の不安も存在する。
実際に神山町はこれからどうなってゆくのか。

二つのことが言えるだろう。

一つは神山町の明るい未来である。

もう一つはその明るい未来を打ち消すかもしれない落し穴である。
これまでの経緯を見る限り、神山プロジェクトは大成功を収めた地域創生である。関わった人々の郷土愛(地域愛)と情熱によって神山町はいま自己変革の真っただ中にいる。ポジティブな未来へと向かって。大南氏らとその協力者の献身的な努力は実り、瀕死の状態にあったこの町は奇跡のように息を吹き返した。これからも移住者が減ることはなく、グローカルで創造的な活動を行うことによって、日本における地域創生の星であり続けるだろう。少なくともしばらくの間は日本の未来を先導してゆくことだろう。

だが長期的にはどうなのか。

必ずしも未来は明るい話題ばかりではない。

例えば、この町に移住して起業し、神山町創生の中心メンバーの一人となった西村佳哲氏は人口減による教育の問題を指摘している。高齢化率が極端に高いこの町の人口減はこれからも避けられず、2060年には1,145人に落ち込むと予想されている。その時、教育に何が起きるのか。子供の数が少ないため、学年・学級は合併され、最後には地域から小中学校が消えるかもしれない。学校が維持できなければ、人口は維持できない。日本の過疎地域でこうして消滅した町がすでにあるという。日本の地方の市町村は同様の問題に直面しているが、神山町は小さな自治体であり、人口の母数が少ないだけ、深刻な問題である。それを回避し、何とか人口を均衡状態に持ち込むには、毎年十数組の若い夫婦が継続して移住する必要があるという。

それができるのか。できると信じたい。

神山町の将来を祈ってやまない。

(⑦に続く)

*「神山町 住民課 人口と世帯数」による。

参考資料:
篠原匡著 『神山プロジェクト 未来の働き方を実験する』 日経BP社 2014年
NPO)法人グリーンバレー/信時正人共著 『神山プロジェクトという可能性~地方創生、循環の未来について~』 廣済堂出版 2016年
神山町 総務課 位置・地勢、歴史・沿革について
http://www.town.kamiyama.lg.jp/office/soumu/gyousei/topography.html
神山町 住民課 人口と世帯数
http://www.town.kamiyama.lg.jp/office/juumin/residents/population.html
in Kamiyama 「イン神山」 四国 徳島・神山町のありのままの姿を分かちあう
https://www.in-kamiyama.jp/gv-2/
in Kamiyama 「イン神山」 まちを将来世代につなぐプロジェクトを映像で紹介(動画)
https://www.in-kamiyama.jp/tsunagu_movie/
神山アーティスト・イン・レジデンス2018
https://www.in-kamiyama.jp/art/diary/30076/
「特定非営利活動法人グリーンバレー」(徳島県神山町)YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1hH7KmEXJx4

現代研究会

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