後期テーマ:「地域創生」発表1⑤臼杵市の地域創生

⑤臼杵市の地域創生
臼杵市は九州、大分県にある小さな都市である。面積は291.2km2、人口は37,401人(2018年4月1日)である。何故この小都市を取り上げるのかと言えば、たまたま筆者が『歴史と文化のまち 臼杵の地方創生』(関西学院大学出版会)という本を読み、この町とその地域創生に興味を持ったからである。

臼杵市とはどういうところなのか。

この土地に生まれた作家、野上八重子は1974年に刊行された『臼杵小学校百年史』に寄稿した文章で次のように言っている。
「もとより臼杵は大都会でもなく、なにか盛んな事業で繁栄を誇るような広い土地は持ち合わせておりません。しかしいわゆる高度生産の過程によって多くの工業地帯が苦しんでいる公害とは無縁に、温和な気候、緑の山、青い海、清らかな空気を昔ながらに保っている幸運を忘れてはなりません。一粒の真珠は他のけばけばしい宝石より、より貴重なものとされます。資源や土地に乏しい臼杵とても、運営次第で、よそでは欲しくとも手に入らぬ九州東海岸の真珠に育て上げられるはずです。好ましい風土のみではなく、歴史、文化の条件においても特殊に豊かな温床をもっているのですもの。」*

まさにその通りの様である。臼杵は海に面した平地の少ない土地であり、特別な天然資源もないが、温暖な気候と豊かな自然があり、また古い歴史と文化を持っている。

11月3日、4日は地元の祭り、「うすき竹宵」(参考資料YouTube参照)であった。竹灯篭を使った臼杵市のこの幻想的な祭りの舞台は飛鳥時代にまで遡る。臼杵には有名な臼杵石仏があるが、一説には、この石仏は真名長者の作と伝えられる。真名長者は本名を小五郎と言い、玉津姫と結婚するが、二人の間に生まれたのが般若姫である。般若姫は見目麗しい女性であった。その噂は朝廷にまで伝わり、橘の豊日の皇子(後の用明天皇)は献上された玉絵箱を見て恋に落ち、臼杵まで旅して般若姫と結ばれる。その後、皇子は呼び戻されて帰るが、般若姫もまた、玉絵姫を産んだ後、後を追って船で都へと旅立つ。だが悲しいかな、途中で嵐に遭遇し帰らぬ人となる。もちろん伝説にすぎないが、うすき竹宵はこの真名長者と般若姫の物語を現代に再現したものである。

日本史において、臼杵が本格的な集落(野津)として成立するのは、平安中期、11世紀半ば頃である。大友一族がこの地に荘園を拓いたとみられる。その後、第二十一代当主、大友宗麟が府内から臼杵に居を移し、1556年に丹生嶋に城を築いた。これが後の臼杵城(亀ヶ城)であり、城を中心に城下町が形成された。宗麟は一時期六か国を支配する九州最大の大名であった。キリスト教に大きな関心を持ち、晩年には自らキリシタン(洗礼名:フランシスコ)となった。また1551年にはイエズス会士、フランシスコ・ザビエルにも会っている。宗麟の治世において臼杵は南蛮貿易の国際都市として発展した。徳川家康に仕えたイギリス人、ウイリアム・アダムス(三浦按針)が初めて上陸したのも臼杵である。江戸時代に入り、大友氏の除国後に稲葉貞通が入封し、以後270年にわたって臼杵は稲葉氏によって統治された。大友宗麟が築城した臼杵城、また稲葉氏の治世に造られた古い町並みは現在でも残されている。
臼杵市はまた産業においても特筆すべき伝統を持っている。臼杵市の最大の産業は製造業である。とりわけ食品製造業に強く、醸造業(醤油・味噌)は古い伝統を持ち、現在でも九州随一のシェアを持っている。また、意外に思えるかもしれないが、昔から続く産業として造船業がある。あらゆる種類の船が造られ、最近では進水式とセットになった観光ツアーもあるという。さらには近代的な半導体の世界的なメーカーも存在する。

以上でわかるように、臼杵市は歴史と伝統を持つ活気ある町であり、地方の一小都市を超えた魅力を持っている。

だが現実は残酷なものである。もう半世紀もの間、臼杵市の人口は減り続けている。1970年の人口、52,434人が現在は37,401人まで減少した。あのバブル期にも日本経済繁栄の恩恵をほとんど受けなかった。これは多くの人々が、特に若い人々が、継続して大都会へと去って行ったことを示唆している。増田レポートによれば、臼杵市の人口は、このままでは2040年には25,920人まで落ち込む。若年女性人口変化率は-53.7%である。大分県の中では最悪グループではないにしても、消滅可能性自治体の領域に足を踏み入れている。
もちろん臼杵市は手をこまねいて見ているわけではない。筆者が臼杵市に興味を持った理由は、その歴史と文化以上に、実施されている地域創生が印象的だったからである。

臼杵市は自らの歴史・文化遺産を十分に理解していて、歴史観光の振興を試み、それを地域創生の起爆剤の一つにしようとしている。臼杵城は臼杵観光立市の要であるが、この築城史上特異な城郭は、宣伝次第では、日本のモン・サン・ミッシェルになる可能性がある。戦国・江戸時代からの古い街並み、また数ある仏教寺院、三重塔等も大きな魅力である。市はこれらの歴史・文化遺産を保護するため景観条令を作った。今年で22回目を迎える臼杵竹宵はすでに定着した秋の風物詩となった。この時代絵巻のような祭りには人口4万に満たない町にその倍以上の観光客が訪れるという。臼杵竹宵は地元の誇りである臼杵石仏と連動している。また進行中のANJINプロジェクト、下藤地区キリシタン墓地の調査、マレガ文書**の研究等も歴史観光振興のための布石である。
一方で、臼杵市は急速に高齢化が進んでいる町である。高齢化率(65歳以上人口比率)は近い将来40%になると推定されている。それに対処すべく、地域コミュニティの活性化による包括ケアシステムが構築されている。その中核を成すのは医療・介護連携ICT(情報ネットワーク)、「うすき石仏ねっと」の活用である。これは病気・怪我、緊急事態への迅速な対処、孤独死の防止等が目的である。また民間企業や大学病院と連携した最先端の認知症研究を積極的に推し進めている。またボランティアポイント制度なるものがあり、ボランティア活動をすればポイントがもらえ、後日そのポイントに応じて品物に交換することができる。これは地域通貨の考えでもある。

だが臼杵の地域創生で印象付けられたのは、その「バイオマス産業都市構想」である。この構想は2015年7月に策定され、副題を「~100年の森づくりから、有機の里づくりと海のほんまもんへ、臼杵型地域内循環システムの構築を目指して~」という。その内容は多岐にわたるが、構想の本質を要約すれば、100年の時間をかけて、臼杵地域に自然と一体化した環境経済システムを構築しようとするものである。その中心は農業であり、漁業であるが、とりわけ有機農業に力点を置く。しかもそれは土壌造りから始まる。これは画期的な発想である。この構想に先立って、市はすでに2010年に大規模な土づくりセンターを建設している。そこで有機農業のための草木類を主原料に完熟された堆肥(「うすき夢堆肥」と言う)を生産している。またこの堆肥で土づくりを行い、収穫した農作物を「ほんまもん農作物」として市が認定し、認証シール貼って出荷する。
こうした臼杵市の地域創生の試みを記録したドキュメンタリー、『100年ごはん』(大林千茱萸監督)が2014年に公開された。
有機農業はこの構想の中核であるが、すべではない。漁業にも、また林業にも同様のアプローチが適用される。漁業は乱獲ではなく、持続可能な漁の実践によって、また林業は森を育てることにから始まる。さらにはまた木質バイオマス発電、市内醸造メーカーによるメタンガス発電その他による臼杵エネルギーパークの構想があり、そのエネルギーを利用した地域産業の振興、市民社会の生活システムの構築を目指す。臼杵地域全体を自然エネルギーによる自給自足コミュニティにしようと試みる壮大な計画である。

以上に加えて、急速な人口減を少しでも緩和するため、臼杵市は他地域からの移住者を歓迎している。またそのための様々なサポートを行っている。子育て環境・教育環境の改善にも大きな努力を払っている。

臼杵市の試みはうまく行くのか。これからどうなるのか。

早急な結論は差し控えるべきだろう。何事もやってみなければわからないからだ。とりわけ肯定的かつ積極的な未来の構築においては。
だが最低限、次のことは言えるだろう。
それでも臼杵市の人口はこれからも減り続ける。人口減は日本全体の構造的な問題であり、その流れを大きく変えるのは一自治体の能力を超えているからだ。
しかし臼杵市は滅びることはないであろう。

何故ならその地域創生は自らの特性を生かした「自然体」の努力であるからだ。臼杵市の試みは、地域創生において人口問題がすべてではないことを教えてくれる。都市の成長、経済的発展が人間社会のすべてではないのだ。そこには歴史に裏打ちされた文化の力が存在する。すなわち周囲からの影響と恩恵が消失した後においても機能できる自立した社会、文化、経済を構築する素地と意思である。

その根底には、たとえ人口が減り、経済的に貧しくなろうとも、豊かな自然と伝統文化があり、人々が生き生きと幸福に暮らすことができればそれで十分ではないのか、という認識があるように思われる。その意味で、小都市、臼杵は、これからの日本の地域創生において、一つの明確な方向性を示しているのではないかと思う。



*臼杵小学校百年史編集委員会編『臼杵小学校百年史』(1974年)巻頭祝辞。石原俊彦監修・日廻文明・井上直樹編著『歴史と文化のまち 臼杵の地方創生』(関西学院大学出版会)p.33より引用。

**戦前に豊後地域で日本キリスト教史を研究したサレジオ会マリオ・マレガ宣教師が収集した1万点に及ぶキリシタン関係資料群。

(⑥に続く)
参考資料:
石原俊彦監修・日廻文明・井上直樹編著『歴史と文化のまち 臼杵の地方創生』 関西学院大学出版会.2017年.
うすき竹宵2018(YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=R6MwTkUW1-w
懐かしさに出逢うまち臼杵(動画)
http://www.city.usuki.oita.jp/docs/2015062200037/
臼杵市役所「医療・福祉・介護ICTと地域コミュニティの充実による「うすき暮らし推進プロジェクト」」 2015年?
臼杵市役所「臼杵市バイオマス産業都市構想 ~100年の森づくりから、有機の里づくりと海のほんまもんへ、臼杵型地域内循環システムの構築を目指して~」 2015年7月.
http://www.jora.jp/tiikibiomas_sangyokasien/pdf/usuki_k.pdf
100年ごはん
http://100nengohan.com/

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