2018年度前期発表6 カントと宗教(キリスト教)その2

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さて「神」についてカントは、「神の存在は証明できない、しかし人間を道徳的に導くために神は必要だ」という態度を取っていた。また、カント後のドイツのキリスト教界も、理性の限界を自覚し、神に対しては「信仰するのみ」という方向へと流れて行っていた。特段地震によって神が死んだわけではなく、弱まっていた信仰がますます弱くなっただけだった。

「自由」については、確かにカントは自由を追求する哲学者であった。カント後の世界ではしばらく、理性によって掲げられる自由がますます政治体制の基本原理になっていくようにみえたのだったが、既に20世紀半ばには「自由からの逃走」(フロム)が始まっていた。今日の自由世界の解体はその延長線上にある。

さて、今日の日本。東日本大震災で世界は道徳的な日本人の姿をみた。被災しても略奪も起らず、助けを待つに当たっては、静かに順番を守る。また、弔いを求め、遺体捜索を続ける日本人。しかし、他方では散骨、無宗教葬、と伝統的弔いは廃れるばかり。

洋の東西で伝統的宗教は衰退していくようだが、この流れの果ては何処に到るのだろうか。はたまた反転はあるのだろうか。今回、答えは見いだせなかった。しかし、理性の限界(カント)や言葉の限界(釈迦)の追究の中にしか道はなさそうに思うのだが。




現代研究会

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