2018年度前期発表1 「和」の思想とその可能性 要旨 ②
不思議と言えば不思議であるが、「和」の理念を正面から論じた文書は太子の『憲法』が最初で最後であり、その後は最近になるまで存在しない。
しかし類似の思想は―表現こそ違え―日本の歴史を通して異口同音に語られてきた。
いくつか例を挙げると、法然、親鸞等の鎌倉仏教の宗教家たちの救済思想、江戸初期の儒家、藤原惺窩とその弟子たちのコスモポリタニズム、また幕末の社会事業家、二宮尊徳の分度と推譲の思想がそうである。
とりわけ二宮尊徳の思想は聖徳太子の「和」の思想に非常に近い。
尊徳は自らの実践に基いて「一円融合」という思想に達するが、これはすべてのものの有機的な関連、協働によって調和的社会の実現を目指したものである。
「和」の思想は現代においても綿々と続いている。それは日本社会、日本文化の中に深く根を下ろし、また多くの場合、無意識の次元で存在している。実際「和」はとらえどころのない概念である。
それほどまで血肉化し、日本人と一体化して存在している。
だがそれは疑いもなく一人一人の行動規範として存在している。
日本人は争いを好まない。可能な限り避けようとする。
また全体の秩序を何よりも順守し、集団で行動する傾向にある。これは民族の知恵であろうか。
日本人は、好むと好まざるを問わず、「和」の原理によって社会生活を送っている。
2011年3月11日に起きた未曽有の悲劇、東日本大震災における日本人の整然とした行動は世界の賞賛の的となった。
しかしこれはあくまで外部から見た日本の「和」の評価である。
多くの外国人が日本とその「和」の思想に賛同する一方で、大半の日本人はこの日本思想を多分に冷ややかな眼で見ている。
すでに述べたように、「和」が検討に値する「思想」であると考えている人は少ない。
その理由もある。
「和」の存在が社会の維持発展に重要であると認めつつも、同時に個としての自由を奪い、人間存在を抑圧するのも事実だからである。「和」が社会の絶対的規範となる時、その力は暴君として君臨する。
すなわち為政者、権力者は「和」という大義名分によって支配するのである。多くの日本人はそれを歴史と人生の中で学んできた。
その苦い経験がある。
この点に関して、より大きな視野で考えてみると、我々が「和」と呼ぶものには二つの種類が存在するように思われる。
すなわち肯定的な「和」と否定的な「和」である。真の「和」と偽りの「和」と言い換えてもよい。
前者は建設的な力であるが、後者は抑圧的な力である。
その意味で「和」の思想とは諸刃の刃なのである。
日本の歴史において「和」は絶えずこれら二つの顔を使い分けて存在してきた。
③/③に続く
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