2018年度前期発表1 「和」の思想とその可能性 要旨 ③

だがそれにもかかわらず「和」はやはり重要な思想であると考える。
ずいぶん前の話になるが、若い頃にLuck Disguised as Ordinary Life(「日常という仮面を被った幸運」)というエッセーを読んだことがある。作者の名はもう忘れてしまったが、印象的な内容で今でもよく覚えている。
平和な日常生活を送っている時我々はそれを当然のこととして受け取るが、実はそれは奇跡とも言える「幸運」の結果なのである。我々は、幸運にも、人生の大半を健康に恵まれ、また重大な問題もなく過ごすことができる。
大きな問題は退屈なことぐらいである。
だが時々その日常が破れることがある。
病気になった時、また大きな問題に直面した時、我々は自分が不変の存在ではなく、絶えず移ろうものであることを思い知る。
その彼岸に、健康で平穏な日常を垣間見るのである。
「和」についても同様のことが言えよう。
「和」すなわち「やわらぎ」は疑いもない調和の思想である。
だがこの日本発の理念は普段話題として取り上げられることはない。
また研究者の間でも驚くほど人気がない。
本格的な研究は皆無に近い。あまりに当たり前のことであり、正面から研究する価値がないのだ。
だが時として「和」が破れることがある。
天変地異の発生、また歴史の激動期、戦乱期がそうである。
その時我々はあらためて「和」の存在に気付き、その貴重さを思い知るのだ。
実際、日本社会、日本文化はこの「和」の原理によって存続し、時には滅亡から救われてきた。
現代日本において「和」の評価が低調なのは、何よりもこの日本が平和な社会であるからである。
平和すぎる社会であるからである。「和」は(それがいかに形式的であろうと)すでに実現されている。
だとすればそれ以上の何が必要であろうか。
だがこの状態がこれからも続くことはない。
現代日本は人口減少、少子高齢化、労働力不足、地方空洞化、貧富の差の拡大等の深刻な構造的難題を抱えている。
座して死を待つわけにはゆかない。
したがって国家の存亡を賭けて、近未来において国際的な社会再編が起きる可能性がある。
その時日本は、世界標準の、より混沌とした社会の仲間入りをすることになる。
すなわち多文化社会への移行とその混乱である。
そうした危機が到来した時「和」は再び切実な理念として復活するのだろうか。
日本発の調和の思想である「和」は世界の「和」の思想となりうるであろうか。

終わり

現代研究会

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