2018年度前期発表1「和」の思想とその可能性要旨①

2018年4月14日(土) 
第一回現代研究会
発表1 実松克義 「和」の思想とその可能性

「和」は世界でも稀有な調和の思想である。
現代世界の顕著な特徴は―要約すれば―際限のない不均衡の増大と調和の無限の退行である。
ある国際NGOの2017年報告書によれば、世界の富の半分は8人の大富豪によって所有されているという。
また貧富の差は年々広がる一方だという。
21世紀になっても戦争は止まず、世界の多くの地域で無意味な殺し合いと憎しみのテロが続いている。
すべての国々、民族、文化、また宗教が自らの正当性を主張して相譲らない。
また大半の人々が抜本的な問題解決を放棄しているように見える。
現代は調和とは程遠い世界である。
そうした殺伐とした世界の中で、「和」はあたかも仏の慈悲であるかのように光を灯している。

だがこう書けば多くの日本人は正面から反論するだろう。
仏の慈悲だって?冗談じゃない。誰でも「和」が何であるかぐらいは知っている。
だがそれは思想と言うほど大げさなものなのか。
それほど価値があるものなのか。
大半の日本人がそう考えていると思われる。
筆者もかつてそうした日本人の一人であった。
「和」が実は大変な思想なのだと気付いたのは比較的最近のことである。
筆者が「和」の思想に関心を持ったのはマヤ民族文化の研究がきっかけである。
マヤにはカバウィル(Kabawil)という二元論がある。
カバウィルとは「異質な二者の協働による創造」を意味する。
この調和の弁証法はマヤ民族の根本思想であるが、そこには日本の「和」の思想と多くの共通点がある。
そうしたことから筆者は「和」について再考し、思想として研究してみたいと思うに至った。

日本の歴史において「和」の思想を最初に文章として表明したのは聖徳太子である。
西暦604年(推古12年)に発布された『十七条憲法』第一条において、太子は「和」の理念を最重要事項として位置付けた。「和を以て貴しと為し、忤(さから)うことなきを宗とせよ」で始まる有名な文章である。
日本の歴史の創成期にこのような思想が存在したのは驚嘆に値する。
太子はまた「和」の思想的論拠を「仏教」(第二条)に見出し、さらには実現の手段を「話し合い」(第十七条)に求めた。これは行動理念としての宗教と民主主義の結婚であろうか。
当時頂点に立つ為政者であった太子は、権謀術策、不和と抗争、不公平と腐敗に穢れた政治を「和」によって糺そうとした。
太子の「和」は命を懸けた理念であった。
聖徳太子が始めて言語化した「和」の思想は長い歴史を持っている。
その最初の起源はおそらくは縄文時代の原始社会、自然宗教にさかのぼるだろう。

②/③に続く


現代研究会

「文化と社会に関する様々なテーマ、諸問題を取り上げ、過去から未来への歴史的視野で考察し、議論を行う」ことがこの研究会の目的です。