2022年度後期現代研究会発表11 I’m loving it. の再考から言葉の意味と人の心を求めて
2022年度後期現代研究会発表11
I’m loving it. の再考から言葉の意味と人の心を求めて
2022年12月17日
平 明子
I’m loving it. という英語表現について、あれ?と感じる人もいるのではないだろうか。その違和感の理由にはおそらく英語の状態動詞を進行形にしている点への疑問があげられるだろう。これはしばらく前にマクドナルドのキャッチコピー(厳密には i’m lovin’ it.)として用いられた表現である。本発表では、状態動詞の進行形と「~ている」について日英語を対照的に観察して差異を確認し、さらにその対照を談話に広げて言語表現に見られるネイティブスピーカーが共有する知識や文化的影響について考察を行った。
英語の進行形は、ある動作や活動が一定の時間内で進行していることを表す。よって一般的に状態動詞(live, know, loveなど)が進行形として用いられる例を目にすることは多くはないだろう。「私は東京に住んでいる」と言うときは現在形「I live in Tokyo.」であり、「I’m living in Tokyo.」ではない。(注)しかし、逆に日本語では「私は東京に住む」は不自然である。これは日本語の「~ている」が発話時点で進行している行為や出来事を表すだけでなく、結果状態の連続も表すということによる。動詞forget「思い出せない(状態動詞)」 を例に考えると、「I forget things these days.」「I’m forgetting things these days.」の両方が可能で、後者の進行形が表す意味は「近頃、忘れっぽい」であろう。これは久野・高見(2013)が指摘するように、「ある出来事が断続的に一定の時間内で起こっている」ということを表しており、つまり、思い出せないという出来事がある時間枠の中で一回、二回、そしてまた…といった形で起こっていると解釈することができる。これに従って「I’m loving it.」を再考すると、現在を中心とする時間枠の中で、loveだと感じる出来事が「断続的に一定の時間内で起こっている」という解釈が成立し、英語のネイティブスピーカーはこれを直感的に理解すると考えられる。ちなみに久野・高見(2013)では「それは何度たべてもおいしい」という訳があげられている。日本語訳は様々考えうるが、進行形にすることによって現在形とは異なるニュアンスの表現になるという点をまず紹介した。
一方、日本語における「忘れる」については、「あっ、忘れた」「あっ、忘れてる」「それ、たぶん忘れる」「忘れものが多い」「最近、忘れまくってる」などの表現が可能だが、注目したのは日本語のネイティブスピーカーはこの違いを知っていて使い分けているという点である。第一言語では、言語に関する知識は概ね無意識・無自覚である。しかしその発話には話者の意図や細やかな心情が色濃く反映していると考えられる。細やかな使い分けは動詞の形に限ったことではない。「帰り道、雨に降られてしまいました。」と聞けば、「大変でしたね。」と返答し、「子どもに泣かれちゃって。」と聞けば、「さぞお困りでしたでしょう。」と答える。我々は、言語表現の中に散りばめられた話者の意図や心情を共有しているのである。
英語においても心遣いの表し方は様々に存在する。その一つとして、患者に対する医師の声かけ「How are we feeling?」があげられる。「How are you feeling?」に対して、その主語を一人称複数にすることで心的距離の近さを表すと言われている。日本語では人称代名詞を省略する傾向にあるので、この使い分けから話者の心遣いを汲み取るまでは学習や経験が必要である。
別の談話における例も観察した。英語圏では「A: How about something to drink?」に対して、「B: No, I’m OK.」とyes / no を明示する返事をする一方、日本語では「A:何かお飲み物でもいかがですか?」に対して、「B:大丈夫です。恐れ入ります。」というふうに、yes とも no とも解釈できる表現をもって no と返答する。yes / no を明示するスタイルに慣れた人にとっては日本語のこのやりとりから話者の意図(含意)を汲み取るのは負荷が大きいが、言語(文化)を共有する人にとってこれはあいまいな返事ではない。一般に指摘されることだが、これは相手の心遣いに配慮した言い方で、この文化を共有する共同体においてはコミュニケーションを円滑にすすめる手立ての一つととらえることができる。本発表ではこのような発話の例を複数取り上げて観察した結果、日本語の運用には、日本語話者が共有する言語知識のみならず、喧嘩両成敗という言い方からも推察できるような、ものごとの境界線をあいまいにする傾向、二者択一を好まないといった文化的・民族的価値観も表出しているという結論を得ることができた。
人は自身の心の中にあるもの―情報や心情―を伝達しようと脳内に有する言語能力を駆使して、細やかな言語表現を算出している。言語は機能と運用に分けて観察する必要があり、また言語と文化の関係を一律に公式化することは不可能であるが、言語運用には主にその文化における「ものの見方」が表出した例が多く存在し、これらを体系的に観察することは新たな気づきへとつながる。同時に、本発表でいただいたコメントから考察すべき点は、言葉は常に変化するものであるという点である。言語は人によって使われ、その社会における状況や価値観の変化を取り入れてまた変化する。今後も観察を続け、「I’m loving it.」に代表する進行形の用法ははたして新しいものなのかどうか、使用例や頻度、より詳細な現在形との比較などを行い、さらに考察を深めていく必要性を感じた。
(注)「I’m living in Tokyo.」も文法的な表現であるが、これは一時的な居住地を表すことになり、意味合いが異なる。
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