2022年度後期現代研究会発表6 宮崎市定『西アジア遊記』を読んで思ったこと・考えたこと

2022年度後期現代研究会発表6

宮崎市定『西アジア遊記』を読んで思ったこと・考えたこと

2022年10月29日

茂木明石

報告要旨

本報告で取り上げるのは、宮崎市定『西アジア遊記』(中央公論社、1986年刊)である。この本を選んだ理由はほんの思いつきである。強いていえば、報告者は現在、シリアに興味を感じているのとこの本が報告者の愛読書であることが理由といえば理由である。

宮崎市定は明治34年(1901年)、長野県飯山市に生まれた。彼は大正14年、京都大学文学部東洋史学科を卒業した。専攻は、中国の社会・経済・制度史である。また、昭和35~40年、パリ、ハーバード、ハンブルク、ボフムの各大学に客員教授として招かれている。

本報告で取り上げた『西アジア遊記』は、昭和12年 (1937年)の秋、宮崎が留学先のフランスから、中東へ旅行し、バルカン、トルコを経て、シリア、レバノン、パレスチナ、イラク、エジプトを経てパリに戻るまでの一月半ほどの間の現地の体験記を本にまとめたものである。

本書の原形は「菩薩蛮記(むするまんき ※原書ではルビ)」という表題で昭和19年9月に出版された。戦争中の出版であったため、著者にとっても不本意な出版であった。「菩薩蛮記」はその後、1976年 (昭和51年)に「アジア史論考」三冊(朝日新聞社刊)の上冊に収録された。最終的に1986年 (昭和61年)、中央公論社より『西アジア遊記』として刊行されたのが、報告者が本報告で取り上げたものである。報告者自身の率直な読後感としては、報告者自身の現地体験(エジプト、モロッコ、マレーシア、中国、トルコ)と照らし合わせて興味深い記述が多かった。読むたびに新しい味わいがあった。

宮崎の西アジアへの旅程は、トルコ共和国→シリア・レバノン共和国→イラク→再びシリア・レバノン→パレスチナ委任統治領→エジプトの順に進む。トルコ共和国については、宮崎はイスタンブル、アンカラについて、豊富かつ興味深い記述を残している。イスタンブルでは、ブルー・モスク、アヤソフアなどを訪れている。宮崎は続いて、汽車でトルコ共和国からシリア・レバノン共和国に向かい、その滞在中にイラク王国に立ち寄り、再びシリア・レバノン共和国に戻っている。イラク王国ではモスールに立ち寄り、預言者ムハンマドがそこから昇天したという伝説のあるキブラモスクを訪れている。その後、パレスティナ委任統治領へ移り、ナザレ、イェルサレム、ヨルダン川などを訪れている。ナザレでは、受胎告知寺院、マリアの井戸などを訪問し、イェルサレムでは岩のドームなどを訪れている。各地を訪れた際の宮崎の体験記・印象記はそれぞれにたいへん興味深いものがあるが、

報告者が特に興味を感じたのは、西アジアにおけるイスラームとキリスト教を比較した宮崎の記述である。宮崎によると、西アジアのキリスト教の教会が総じて暗い陰鬱なものであるのに対して、イスラームのモスクは総じて明るく明朗なものであるということである。ブルー・モスクや岩のドームの内部の明るさ、明朗さと受胎告知寺院をはじめとするキリスト教教会の内部を比較すれば明らかであるという。また、西アジアのキリスト教の教会にはしばしば地下の洞窟があり、「西アジアにおいては、キリスト教は地下洞窟の宗教であり、イスラム教は地上殿堂の宗教なのである」(『西アジア遊記』134頁)と述べている。また、シリアに石造建築が豊富に残されていることから、「世界の歴史において、シリアこそ物質文明の中心であった時代が相当長く続いていたに違いないことを思わせる。」(同125-126頁)と興味深い記述を残している。

西アジアのイスラームとキリスト教を比較した宮崎の記述は、報告者にとって非常に興味深いものであり、宗教と洞窟の関係も含め、質疑応答でも活発な議論が展開された。質疑応答では、洞窟と宗教の関係について、イスラームの預言者ムハンマドもヒラー山の洞窟内で最初の啓示を受けたとされていること、古代マヤの宗教では洞窟は死者の世界と繋がるものと考えられたいたことなどが議論された。また、シリアをはじめ、中東は非常に暑いところであることから涼しい洞窟が瞑想の場所として好まれたのであろうという見解などが提出された。また、キリスト教も、初期においては洞窟が来世と繋がるものと考えていなのではないだろうかといった問題提起もなされた。この問題以外にも宮崎の記述は興味深いものが多く、活発な議論がなされたことを付記しておく。

現代研究会

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