2022年度後期現代研究会発表1 ボリビア移民―サンファン移住地の場合
2022年度後期現代研究会発表1
ボリビア移民―サンファン移住地の場合
2022年9月3日
実松克義
21世紀の始め、2000年代に、筆者は発掘調査のため頻繁にボリビアに滞在した。その滞在中に現地の日系社会を知る機会があり、その現状と歴史を調査することになった。ボリビア南東部にサンタクルスというボリビア一の大都市がある。その近郊に二カ所の日本人移住地が存在する。サンファン移住地及び沖縄移住地である。筆者は両方で聞き取り調査を行なったが、この発表では前者のサンファン移住地(Colonia Japonesa San Juan)について話した。筆者は2006~7年にこの移住地を訪れたが、当時750名ほどの日系人が住んでいた。(最新の統計資料はないが、おそらく現在でもあまり変わらないだろう。)ここに日本人が最初に入植したのは1955年である。個人が計画した企業移民であった。計画が杜撰であったため、最初の入植者を待っていたのは想像を絶する試練であった。移住地とは名ばかりで、長旅の後に人々が見たのは原生林のジャングルだったのだ。2回目からは日本政府主導による計画移民となるが、現地の状況を理解できない対応の連続で、事態は悪化の一途をたどってゆく。やがて移民は一時中止となる。
しかし不運も災難も永久には続かない。入植者の不屈の努力によって、また救世主的な人物の出現によって、移住地は危機一髪で破滅から救われた。すべての建設的な行為は人々の「信」と「連帯」による。最も遅れていたインフラの整備が行なわれた。道路や橋が建設された。やがて状況は少しずつ好転し、永続的な移住地の基盤が創られる。移民は再開された。その後、移住地は、様々な紆余曲折はあるにせよ、着実に発展し、現在に至っている。この移住地を訪れて様々な人々と話したが、そのすべてが興味深く胸を打つものであった。現地にある小さな移民資料館を訪れた時のことを思い出す。そこに展示された物品と写真は人々の苦難の歴史を物語る。サンファン移住地は農業・畜産コミュニティーである。主力農作物は米、大豆、果実などであるが、最大の生産物は鶏卵である。ボリビア全体の五分の一を賄っているという。成功して大農場を経営する人々にも会ったが、試練を乗り越えた人間の自信を感じた。サンファン移住地は現在ではボリビア社会において模範的な地域共同体としての地位を築いている。
しかしこの小さなコミュニティーを調査して最も印象に残ったのは人々が日本の文化と伝統を守り、維持しようとしている姿であった。年間を通して日本文化の年中行事があり、機会あるごとに日本人としてのルーツが確認されている。そして人々は文化とアイデンティティを維持する鍵が言語の継承にあると考えた。そうして創設されたのがサンファン学園(Unidad Educativa San Juan)である。筆者が訪れた時、ここでは1年~8年生まで、合計154名の生徒が学んでいた。(付属幼稚園まで入れると205名になる。)このうち純粋な日系人は三分の一、日系ボリビア人を入れても半分程度である。残りの半数は純粋な現地のボリビア人である。教育の質の高さが魅力なのだという。ただここでは明確な意図を持って日本語教育が行なわれている。またれっきとした文科省の認定校でもある。中核となるのは日系人を対象とした日本語カリキュラムであるが、そこでは日本国内で使用されている国語の教科書が使われる。また日本文化についての特別講習もある。目標は日本語能力試験1級(または2級)であるという。
サンファン移住地にももちろん問題はある。同じサンファン市に住むボリビア人との関係、経済的格差は大きな問題である。彼らは地域のマジョーリティであるが、多くは極度に貧しい。日系社会は格差をなくすための最大限の努力をしている。しかし直面している最大の問題は移住地をいかに未来へと繋ぐかということである。これは問題というよりは課題である。すでに日系一世の高齢化が進み、近い将来に二世・三世のみの時代になるのは明白である。その時に移住地の人々はどうするのか。これまでのように日本語と日本文化を死守するコミュニティーとして発展させるのか。それともボリビア社会とのより強い融合を図るのか。非常に悩ましいところである。これに関して、筆者はサンファン学園で卒業間近の8年生と話したことを思い出す。彼らの話は夢と希望に満ちていたが、はじけるような笑顔の奥に複雑なものを感じないわけではなかった。全員が祖国日本への憧れを持っていた。彼らはいまどうしているのだろう。この文章を書きながら思ったことである。
現代日本において海外移民はほとんど死語と化している。しかしそう遠くない過去において、移民は日本人にとって重要なテーマであった。実際に多くの日本人が海外雄飛を夢見てアメリカや中南米に移住していった。移民とは何か、日本の外において日本文化の存続はいかにして可能なのか、日本人としてのアイデンティティはどうあるべきなのか。この発表が日本と日本人について何かを考えさせる契機になったのであれば幸いである。
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