2022年度前期現代研究会発表6 わたしの周りで起きていること〜言語と認知とコミュニケーションと〜
2022年度前期現代研究会発表6
わたしの周りで起きていること〜言語と認知とコミュニケーションと〜
2022年5月28日
平明子
昨年度に続いて『日本語に見る日本人の心』というテーマで、3回目の発表をした。この研究会のテーマとはやや離れてしまうが、言語観察を中心に自分の身の回りで起こっていること、気になっていることをテーマに関連付けてまとめた。
在学中は生成文法の視点から英語の文法規則の観察を試みた。学べば学ぶほどその深さに感動した記憶がある。その後、仕事や育児をする中で新たな経験をして新たな興味や疑問を持つようになった。とりわけ、我が子の言語獲得の過程を観察することは文法や言語獲得のみならず、認知的発達との関連、コミュニケーション能力の発達との関連といった領域への興味につながっている。
こういった経験や観察を通して、在学時とは異なる視点や分析に触れることができた。普遍的言語能力、言語獲得能力は人間に特有であるという視点は今も変わらないが、しかし同時に、普遍的言語能力にばかりたよっているわけではなく、言語獲得の過程には認知的発達や文化的理解も大きく関与していて、そして環境的な要因が言語の運用にも関わっていると考えるに至っている。そのひとつの例として、「富士山が見える」を英語にすることの隠れた難しさについてあげた。英語と日本語では、叙述の展開に違いがある。英語は動作主を明確に示す傾向があるのに対し、日本語は事態の推移や結果を示す傾向がある。日本語話者にとって、We can see Mt. Fuji. の「we」のように、行為者(より正確には経験者)を主語の位置に置くというのは、ある意味で発想の転換が必要なのではないだろうか。外国語学習においては、こういった叙述の展開、コミュニケーションのスタイルの違いを含めて理解を深める必要があるのではないかと感じている。文化的影響についても同様である。日本語の表現には、日本語話者の認識の構造が多く表れている。「先生が私の演奏を高く評価してくれた」というより、「あの(私の)演奏は先生に高く評価された」と言う方がおそらく好まれるのはその例であろう。
言語には言語ごとに文法規則がある。語彙や語順がそうであるが、もう少し細かい点、例えば名詞の単数・複数の区別にも言語ごとの特徴が表れている。英語では名詞の単数・複数の区別を発話するごとに具現化するが、日本語はそうではない。他にも、定・不定の区別、女性名詞・男性名詞・中性名詞の区別など、発話するたびにどんな要素を言語表現において具現化するか観察するのは興味深い。日本語においてマークされるのは相手との関係性である。「また会えたらいいね」「またお目にかかる機会がありますように」など、相手との関係性を語彙、表現を替えることで具現化している。そこには常に文化が関与するのかという点であるが、an apple, the apple のような定・不定の区別がない言語を使用する集団は名詞の定・不定が理解できないわけではない。単にそれを言語表現において具現化していないだけなのである。言語には自律的な側面があって、日本語にみられるすべての要素に「いわゆる日本人らしさ」が表れているわけではない。言語とはそういうものと割り切る必要がある。今回、言語と文化という難しい課題について考察する機会を得たが、文化が相対的であるように言語も相対的なもので、ゆえに言語と文化の関係も相対的であると考えるに至っている。今後この点においても観察と考察を深めていきたい。
ずいぶん前に履修した英語の授業で言語の魅力を知って以来、長い年月が経過した。こんなにも長期にわたって言語に興味を持ち続ける自分に正直なところ驚いている。長い道のりだと感じることもあるが、こんな素敵な世界に導いてくださった恩師に深く感謝している。
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