2021年度後期現代研究会発表3 シャーマニズム再考―「古きものども」の現在―
2021年度後期現代研究会発表3
シャーマニズム再考―「古きものども」の現在―
2021年9月4日
実松克義
Ⅰ.シャーマニズムとは何か
シャーマンとシャーマニズムは、普通、次のように定義される。
神や霊魂と直接に接触・交流し、託宣、予言、病気治しなどを行う宗教的職能者をシャーマン(shaman)、シャーマンを中心とした信仰をシャーマニズムという。(『知恵蔵』)
シャマンとは神や精霊からその力能をえ、神や精霊との直接交流によって託宣、予言、治病、祭儀などを行う呪術ー宗教的職能者であり、シャマニズムとはシャマンを中心とする世界観、儀礼、信者・依頼者集団から成る一宗教形態である。(『文化人類学事典』<縮刷版>)
シャーマンの語源はマンシュー語・ツングース語のšaman, Xaman(シャマン)である。ša-は動詞「知る」の語幹で「知識ある者、知者」を意味する。それがまずロシア語(шаман)となり、その後17世紀末にヨーロッパに紹介され、後年、民族学の用語として定着したものである。
シャーマニズムはシャーマンを中心にして形成された宗教文化である。世界中に類似の伝統があり、またその起源は極めて古い。世界各地にそれを暗示する古代の遺物、洞窟壁画、岩絵、地上絵、あるいは笛や太鼓などが見つかっている。シャーマニズムはおそらく現生人類の出現とともに(あるいはそれ以前に)発生し、太古の文化を構成していたと思われる。
シャーマニズムについての多くの研究が存在するが、その定義、理解はまちまちである。例えばルーマニア生まれの宗教学者ミルチャ・エリアーデの定義は次の通りである。
シャーマニズムは厳密には、古代的エクスタシー技術―同時に神秘主義であり、呪術であり、広義の宗教―の一つである。(『シャーマニズム:古代的エクスタシー技術』(初版1951序言)
一方、アメリカ人人類学者マイケル・ハーナーはこう述べている。
シャーマニズムは、人類が知っている心と体の方法論的治癒システムの中で最も古く、広範な地域に存在する。(『シャーマンの道』(1980 P.85)
Ⅱ.世界のシャーマニズム
世界には多様なシャーマニズムの伝統が存在する。以下に、世界の八つの地域、シベリア、韓国、インドネシア(バリ)、アフリカ(カメルーン)、ハイチ、マヤ、アマゾン、また日本(沖縄)のシャーマニズムを寸描したい。
シャーマンの語源となったシベリア・モンゴル・マンシューは広大な地域である。当然、地域差も大きいが、共通点として、自然信仰、天空信仰、動物信仰などがある。この地域のシャーマンは太鼓を打ち鳴らしてトランス状態に入り、精霊の住む異世界へと旅をする。これを俗にスピリット・ジャーニーと呼ぶ。シャーマンはまた「世界樹」を伝って天界、現世、また地下の冥界を自由に行き来する。モンゴルでは移動式住居ゲルの柱は「世界樹」を象徴するものである。
韓国の伝統的シャーマンはムーダンと呼ばれる。地域によるが、女性が多いようである。降霊あるいは浄化・お払いの儀式はクッと呼ばれる。ムーダンは楽器の音に合わせて舞を踊り霊的世界に没入する。日本海に面した寒村で漁師たちの安寧を祈る儀式を映像で見たことがあるが、呪文を唱えるムーダンが立つ桶の中に人々がご飯や魚などの供物を入れるのが印象的であった。
インドネシアはイスラーム圏であるが、広大な地域で、地方の島々には依然として土着の宗教伝統が残されている。ドゥクンは最もよく知られたシャーマンであるが、ヒンドゥー教の影響を受けたバリ島は独特な文化を持ち、そのシャーマンはバリアンと呼ばれる。筆者は一度だけ、偶然も重なって、女性のバリアンに会ったことがある。日本のイタコ、ゴミソ、あるいはユタに似ているという印象を持った。死者と対話する霊媒として、死によって生じた現実的諸問題を調和的に解決する役割を担っているようである。
カメルーンはナイジュリアの東に位置するアフリカ大西洋岸の国である。臨床心理学の井上亮の調査研究によれば、この国のアダマワ地方には四種類のシャーマン(呪医)が存在する。①ドゥギ(クティン族)、②ボーカ(フルベ族)、③召命型の一般呪医、そして④モディボ(コーラン学者)である。これらのシャーマンはギンナージと呼ばれる精霊の力を利用して仕事をする。この強力な精霊は夢見の中で頻繁に現れる。よいギンナージと悪いギンナージが存在し、シャーマンはその力を制御することを学ばねばならない。カメルーンの人口の40%はクリスチャン、30%はムスリムであり、そのため④モディボのようなイスラーム的なシャーマンが存在する。
ハイチのヴードゥーはあまりにも有名であるが、西アフリカ、ダホメ王国(現在のベナン)のフォン人の奴隷がもたらした宗教伝統がカトリックと習合したものである。ハイチ黒人奴隷の悲劇的な歴史を象徴し、またおどろおどろしい伝統として誤解されているが、ハイチ文化に根付いた正真正銘の民間信仰である。男性司祭はオウンガン、女性司祭はマンボと呼ばれる。司祭の指導の下に依頼者は踊りによりトランス状態に入り、様々な治療を受ける。
筆者がフィールドワークを行った現代マヤのシャーマニズムは、地域による差異はあるものの、マヤ伝統宗教とでも呼べる特徴、統一性がある。マヤ・カレンダー(神聖暦)の使用である。マヤのシャーマン、アッハキッヒ(アーキン)は神聖暦の20ナワール(20人の時間の神)に祈念し、そのエネルギーによって病気の治療をし、また精神の病を治し、あるいは助言や予言を行なう。その根底にあるのはカバウィルと言われる調和の原理に基づくマヤ的二元論である。
アマゾンは世界最大の大河であり、その流域には数百の先住民族が居住している。当然、大きな地域的相違があるが、共通点も多い。コロンビア・アマゾンのクベオ族はこの地域最大級の部族であるが、伝承によれば、太古の昔、クワイ兄弟が世界創造と部族の文化・社会を創造したという。そのトランペット、笛が残されている。その後、東端の水の扉から巨大なアナコンダが現れ、川の軸に沿って天に上り、その過程で部族の歴史、習慣が誕生した。アナコンダは世界最大の水生の大蛇である。また力の象徴であるジャガーは社会の秩序を守る存在である。アマゾンはまた植物の世界である。シャーマンは治療の儀式において多種多様な薬草を使う。中でも特にタバコとアヤワスカが重要である。アナコンダ、ジャガー、薬用植物はアマゾンのシャーマニズムの基幹をなすものである。
最後は日本のシャーマニズムであるが、最もよくその伝統が残されている地域として沖縄がある。沖縄には二種類のシャーマン、公的シャーマン、民間シャーマンが存在する。公的なシャーマンを神人(カミンチュ)、ノロ、ニーガン、ツカサ、民間シャーマンをユタ、カンカリャ、ニーゲービーなどと言うが、現在ではその違いはあまり明確ではない。神の島とも呼ばれる久高島には最近までイザイホーと呼ばれる宗教祭儀が存在した。この島で生まれた女性はすべて神女(ノロ)になる。イザイホーとは東方からの来訪神ニライカナイに新しく神女となる女性を認証してもらうイニシエーションの儀式である。12年に一度開催されるが、参加者の条件があり、30歳~41歳の既婚の女性でなければならない。若い世代の人口流出で高齢化が進むこの島では該当者がおらず、1978年を最後に祭儀は開催されていない。
Ⅲ.シャーマニズムの体験
筆者はこれまで中南米のシャーマニズム、特にマヤ、アンデス、アマゾン地域において調査研究をしてきた。その中から1)ボリビア・アンデスのシャーマン、カジャワヤとの体験、及び2)ペルー・アマゾンのシャーマン、アヤワスケーロとの体験について述べたい。
1)カジャワヤはティティカカ湖北の山中にある町チャラサニ一帯に住むシャーマンである。筆者は1998年7月にこの地を訪れフィールドワークを行った。カジャワヤはボリビアでも特異な存在で、その起源は謎に包まれている。一説によれば、スペイン人征服者の侵入時に難を逃れて密かに山中に逃れたインカのシャーマンの末裔であるという。また遠くはティワナク古代文明との関係も語られている。カジャワヤは病気の治療の際に薬草を多用することで知られているが、同時にまた高い精神性を持つシャーマンでもある。彼らが活動するこの地には多くの神々、精霊、スピリットが存在する。
チャラサニで出会ったカジャワヤで最も印象に残っているのはマヌエラ・ママーニである。幸運にも知り合った当地出身の知識人ヒネス・パスティンが筆者のためにマヌエラによるメサの儀式をアレンジしてくれた。マヌエラはすでに85歳の高齢であったが、矍鑠としていた。メサの儀式はヒネスの家で夜に行われた。メサとはスピリットに捧げる供物の総称である。マヌエラの指示によって、二種類のメサを作る。ポジティブな目的の白メサと浄めのためのコカの葉のメサである。白メサは中央に大きな綿を置き、その周りに12個の綿を円形に配置する。そこにお菓子、リャマの脂、カーネーションなどを載せてゆく。コカの葉のメサはコカの葉にお菓子、リャマの脂などを入れて作る。筆者は出来上がったメサを胸に入れ、マヌエラが清めの儀式を行う。最後に敷地内の聖地(カビルド)でメサを燃やし、神、大地母神パチャママ、山の神ルガールニオ、風の神アンカリに捧げる。マヌエラ・ママーニは儀式の間ほとんど無言であった。だが彼女の振る舞いには聖なる雰囲気があり、筆者に畏敬の念を起こさせた。
2)アヤワスケーロとはアヤワスカを使うシャーマンを意味する。ペルー・アマゾンのシャーマンは大別して二種類に分かれる―タバケーロとアヤワスケーロである。タバケーロは主にタバコを使用するシャーマンを指す。伝統医(メディコ・トラディショナル)とも言う。アヤワスケーロもまたタバコを使うので、唯一の違いはアヤワスカを使うか使わないかだけである。一般にアヤワスケーロの評判はそれほどよくない。中にブルヘリーア(黒呪術)を行う者がいるからである。さいわい筆者が出会ったのは正統的なアヤワスケーロであった。
筆者は1998年8月にペルー・アマゾンの町、プエルト・マルドナードでエドウィン・アンコというアヤワスケーロに会い、聞き取り調査を行った。エドウィンのアヤワスカの処方は11種の薬用植物の混合液であった。最も重要なのはアヤワスカとタバコである。しかし幻覚作用をもたらすのはチャクルーナ、トウェイという別な植物である。筆者はインカのシャーマンが神託を得たというアヤワスカのヴィジョンを見たいと思った。そして翌99年8月に再訪し、エドウィンのアヤワスカの儀式に参加した。この儀式はホヤと言うジャングルの小村で行われた。この儀式の中で筆者はアヤワスカの薬理作用の強烈さを知ったが、その体験は恐怖以外の何物でもなかった。ヴィジョンは起きなかった。
その後いったんクスコに戻り、かなり迷った挙句、イタロー・グティエレス・コンチャというまだ若いアヤワスケーロの指導で再度アヤワスカの儀式に参加した。この体験ではじめてヴィジョンを見た。その内容はそれ以前もまたそれ以後も体験したことのないもので、とうてい言葉では表現できないが、人間の心の中に想像を超えた世界が隠されていることを知った。とりわけ遠い宇宙のヴィジョンと死の静寂を持つ夕焼けの光景が脳裏に焼き付いている。それがシャーマンの見る「目に見えない世界」であったかどうかはわからない。だがその記憶はその後の長い間あたかも人生の謎のように筆者に付きまとっている。
Ⅳ.シャーマニズムの特徴と本質
以上に基づいて、シャーマニズムの特徴を以下の八つの論点にまとめ、筆者の意見を要約してみたい。
1) 原始宗教・自然宗教
まず言わなければならないのは、シャーマニズムが人間にとって「宗教的なもの」の原初形態を現代に引き継ぐものであることである。ここでは宗教は文化とほぼ同義である。この人間文化の起源は文化、宗教、倫理、規範、法、芸術、音楽、技術、科学、などの要素を含み、すべてが混然一体として、未分化の状態である。
2) 地域性
シャーマニズムは世界中に存在するが、地域によって特徴に大きな差異がある。その理由はそれが土着の宗教伝統であることによる。シャーマニズムはそれぞれの地域の自然環境、歴史・文化・伝統、世界観を反映している。そのためシャーマニズムの定義は研究者の数だけあると言われる。
3) シャーマン
シャーマニズムはシャーマンを中心とする宗教伝統である。シャーマンは宗教的職能者、巫、巫女、祈祷師、呪医、などと呼ばれるが、あえて創唱宗教との対比で言えば「自然宗教における司祭」とでも名付けられようか。彼らは獲得した知識の実践を通して古代からの伝統を継承している。様々なシャーマンが存在するが、通説によれば脱魂型、憑依型の二種類に分けられるという。しかし筆者が調査した中南米においてはその区別は明瞭ではない。両者を具えた多くのシャーマンが存在する。またシャーマンは必ずしも霊能者、超能力者であるとは限らない。シャーマンは複合的な役割を担ったより大きな存在である。
4) 儀式
すべてのシャーマンの行為は儀式を通して行われる。儀式とは体系化された技術、伝統、知識、あるいは叡智である。儀式と言えば、形骸化した形式を連想するが、シャーマニズムにおいては単なる形式ではなく、実効性を持つ行為の体系である。無意味な儀式は一つもない。シャーマニズムは通常、明確な教義を記した聖典を持たない。様々な儀式は、言わば、「実践的な」聖典として機能しているのである。
5) 治療
シャーマニズムの基本的・現実的な目的は病気、怪我等の治療にある。多くのシャーマンはまず呪医であり、その意味で現代の医者に似ている。ただし現代医学とは異なる方法によって施術を行う。地域によって異なるが、中南米においては、通常の病気の治療には薬草等を多用する。(ただし薬草も種類によっては精霊が棲む。)一方、黒呪術(ブルヘリーア)、の治療には精霊の力を用いる。例えばアマゾンでは、タバコの霊力により魔法の矢(チョンタ)を抜いて治療を行う。
6) 目に見えない世界
我々は目に見える世界つまり自然界に生きている。しかし先住民族の文化には目に見えない世界つまり超自然界とでも呼ぶべき世界が存在する。そこには精霊、スピリット、神々、その他の超自然的存在が住む。シャーマンはこの目に見えない世界とコンタクトし、人間とその社会を守護する。何故なら目に見える世界の問題は往々にして目に見えない世界の存在に起因しているからである。例えばヤノマミ族の文化では病気の原因は悪霊の仕業と考えられている。
7) ヴィジョン
シャーマニズムにおいてヴィジョンは極めて重要な出来事である。シャーマンは重大な決断をする際にヴィジョンを求める。あるいは起きたヴィジョンを何かの重要な予兆とみなす。ヴィジョンは目に見えない世界からのメッセージであり、理性による判断をより深い次元で理由付けるものである。ヴィジョンを見る手段あるいはヴィジョンが起きる機会は、アヤワスカ、夢、苦難、危機、神秘体験、臨死体験、修業、瞑想、あるいは日常の出来事など多種多様である。
8) 社会性
緩やかに組織された原始共同体的コミュニティにおいてシャーマンは精神的リーダーであり、個人的活動の範疇を超えた大きな社会的役割を持つ。例えば、アンデスの村落社会においては、シャーマンはお互いに連携して、共同体の祭祀、儀礼、儀式などを統括・実施し、農業、狩猟などを予知・指導し、豊作、安寧、調和、倫理など祈念する。シャーマニズムにおけるこの社会性が、現代においてもこの宗教伝統を意義ある存在にしているものである。
Ⅴ.現代との接点
シャーマニズムは現代文化に大きな影響を与えてきた。ここではそれを以下の四つの分野に分けて略述する。
1) ニューエイジ(ネオシャーマニズム)
シャーマニズムは1960年代後半に誕生したアメリカの若者文化―いわゆるカウンター・カルチャー―(反文化)と呼ばれるものだが―に大きな影響を与えた。その最大の功労者はペルー生まれの人類学者・作家カルロス・カスタネダである。カスタネダは「ドン・ファン三部作」によって時代の寵児となり、シャーマニズムはカウンター・カルチャーの大きな部分となった。人類学者マイケル・ハーナーはさらにそれを推し進めて、自らシャーマンとなり、いわゆるネオシャーマニズムと言われる運動の先駆者となった。ネオシャーマニズムは現在でも続いている。
2) 心理療法
シャーマニズムが現代人の関心を引いたのは、その方法論と成果が西欧で発達した心理療法と類似していたからである。多くの人類学者、心理学者、心理療法士がシャーマニズムを研究し、その手法を現代に応用しようと試みた。アメリカ人心理人類学者ロジャー・ウォルシュはその一人である。日本でも臨床心理学者井上亮はカメルーンのシャーマニズムを学び、それを自らの治療法に組み入れた。
3) ニューパラダイム
学問研究の分野においてもシャーマニズムは大きな影響を与えてきた。すでに20世紀の始めにフランス人社会学者レヴィ・ブリュルは『未開社会の思惟』の中で「呪術は未開人の科学である」と述べている。未開人の思想を異質なものとみなす見解は独自の発展を遂げ、戦後、レヴィ=ストロースは『野生の思考』を著す。ポスト構造主義、また現代人類学においても然りで、例えばブラジル人人類学者ビベイロス・デ・カストロは人間を超えた人類学を構想した。またカナダ人人類学者エドゥアルド・コーンに至っては『森は考える』の中で、シャーマニズムをチャールズ・サンダース・パースの記号論によって解き明かそうとしている。さすがにこれは無理があるように思えるのだが・・・。
4)現代芸術
シャーマニズムは人間の生命の原初的な躍動に根差しているが故に多くの芸術家を魅了してきた。日本において強くその影響を受けた一人に画家・彫刻家、岡本太郎がいる。岡本はフランス滞在中にエリアーデの『シャーマニズム』を読んで感銘を受け、以後、シャーマニズムは彼の芸術表現の原型となった。また最近では新進のコロンビア人映画監督シーロ・ゲーラがコロンビア・アマゾンのシャーマンを主人公とした思想的映像作品『大河の抱擁』を製作している。
Ⅵ.「古きものども」の現在
コリン・ウィルソン『賢者の石』はSF的思想小説である。冒険心に富む二人の科学者が前頭葉に特殊な合金を埋め込む手術によって意識を拡大し、歴史をさかのぼり、悪戦苦闘の末に人間の起源を知る。それによれば人間は「古きものども」と呼ばれる精神的存在によって「召使いとして」創造された。しかし想定外の進化を遂げ、現在の人間となった。ムー文明、マヤ文明はその結果生まれたものである。荒唐無稽な部分もある小説であるが、物語の構成は世界中の神話、シャーマニズムに見られる普遍性を持っている。そこには―不可能と知りつつも―人間存在の謎を解こうとする情熱がある。
シャーマニズムの核心はおそらくは目に見えない世界を目に見える世界と同様に扱うことにある。一例を挙げると、マヤ・ツトゥヒル族のシャーマンは夢をもう一つの世界の断片的記憶とみなす。(だからこそ夢はヴィジョンでありうる。)シャーマニズムは両者の均衡の上に成り立っている知識のシステムである。
現代は科学的世界観が極度に発達した世界である。しかしそれでも多くの人々が、とりわけ高度な文明社会に住む人々がシャーマニズムに魅かれるようである。たしかに科学的世界観は世界を理性の力によって隅々まで明らかにした。だがそれで人間存在の謎が解けたわけでもない。むしろ我々が陥っているのは知識の迷宮である。もちろんシャーマニズムもまた混沌とした不完全な世界観である。しかしそれは同じ世界を科学とは異なった視点で見せてくれる。その時、人間は理性の牢獄から解放され、世界はいま一度すべてが未分化の状態に回帰する。おそらくはその再創造の波動が現代人の心を揺さぶり希望を与えるのではないだろうか。
追記:注、参考文献等はここでは省略します。
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