2021年度後期現代研究会発表2 イスラーム史の時代区分についての一試論

2021年度後期現代研究会発表2

イスラーム史の時代区分についての一試論

2021年9月4日

茂木明石

 本報告の目的は、現在のイスラームの状況を踏まえ、イスラーム史の時代区分について、報告者が最近考えている一つの試案を提示することにある。本報告は、飽くまでイスラームの現状についての報告者の主観・感じ方に基づくものであるが、報告者のこれまでの研究から得た知見もそれなりに反映されている。

 報告者がイスラームについて最近感じている疑問の一つは、イスラームは何故、近年になればなるほど原理主義的傾向が強まっているのだろうかということである。クルアーンの教えを神の言葉としていまだに絶対視し、信仰を実践し続けている信徒たちの態度は、キリスト教、仏教を始めとするイスラーム以外の既成宗教と比較して非常に頑なな印象を受ける。

 それでは現在、原理主義的傾向が強まり、ムスリムの中から一部ではあってもテロを実行する人々が絶えないのは何故なのか?報告者は、イスラームが頑なであり続けているのは、イスラーム史そのものの中に原因があると考えている。より厳密に言うならば、イスラームの発生そのものの中に根本的な原因があると考えている。では、その根本的な原因とは何か?その問題についての報告者の考えを要約すると以下のようになる。

 イスラームは、ユダヤ教・キリスト教の影響下に生まれた宗教である。そのことは間違いない。しかしながら、イスラームの成立は、キリスト教の成立と同列に論じられるものでは必ずしもない。キリスト教はユダヤ教の内部から生まれた宗教であるが、イスラームは、ユダヤ教・キリスト教の外縁・周縁に生まれた宗教である。そのことから、ユダヤ教・キリスト教とイスラームの間には、歴史の上で大きな齟齬が生じることになった。キリスト教はユダヤ教の内部から生まれたために、イスラームに先行するこの両宗教は、古典・古代の歴史を共有することができた。中世以降もこの関係は続き、近代以降現在に至るまで、この両宗教は歴史を共有して存続してきた。例えば、アメリカの建国にもユダヤ教徒は関与している。つまり、ユダヤ教とキリスト教は、ヨーロッパ史から発展した古代・中世・近代という歴史を共有することができたのである。これは、ユダヤ教が古典・古代の歴史の波にもまれて形成された宗教であり、その宗教の中からキリスト教が生まれたという両宗教の歴史に起因することである。

 しかしながら、イスラームは、古典・古代世界の周縁に生まれたために、ユダヤ教・キリスト教徒異なり古典・古代の歴史を共有できなかったのである。このことが、ユダヤ教・キリスト教とイスラームの歴史の間に大きな齟齬を生み出すことになる。報告者は、西洋史とはことなるイスラーム史独自の古代・中世・近代の時代区分を仮定した。報告者の仮定に基づくイスラーム史の時代区分は以下のとおりである。

 イスラーム史における古代は西暦7世紀から11~12世紀ごろないし13~14世紀ごろまでである。この時期は、イスラームはまだ形成途上であり、現在のような形になる以前の段階である。また、この時期は古典・古代の追体験の時代である。イスラームを生み出したアラブは、古典・古代の歴史の参与者ではなく、彼らがイスラームを真に打ち立てるためには、古典・古代を追体験する必要があった。具体的には古代ギリシアの学術の継承・発展である。この時期のアラブが、古代ギリシアの学術の受容・発展に前向きであったのでは、イスラームの寛容さから来るものではなく、イスラームが未発達の段階であったからにすぎない。アラブは、古代ギリシアの学術を継承・発展させ、アラビア科学として開花させることによって、イスラームを真に打ち立てるための土台を築いたのである。

 イスラーム史は、アラブによる古典・古代の継承・発展の作業を経て本格的な形成期に入る。それを象徴的に示すのが、スンナ派神学を確立したガザーリー(1111年没)である。イスラーム史は、ガザーリー以降本格的な中世に入る。なお、ここでいう中世とはイスラームが信仰の内実をある程度整え、現在に繋がるイスラームがほぼその姿を現した時代のことである。報告者の仮設では、本格的なイスラームの確立期は14~15世紀である。そのころ、イスラーム世界としてくくられる各地域のムスリムがユダヤ教・キリスト教を押しのけて多数派になっていく。その現象と並行して、各地のユダヤ教・キリスト教が徐々に周縁に追いやられていく。また、同じく、14~15世紀ごろ、イスラーム世界の各地でムスリムたちの間にユダヤ教・キリスト教に対する態度が徐々に不寛容になっていく。そして、報告者の仮説では、イスラーム史の中世は22~23世紀ないし24~25世紀ごろまで続く。つまり、イスラームは現在まだ中世にいるのである。ここで重要なことは、ヨーロッパ史とイスラーム史とでは、時代の推移に約1000年のずれがあるのである。教会が絶対的な権威を持っていた中世ヨーロッパのように、クルアーンが絶対的な権威を持つ現在のイスラームの状況は、イスラームがまだ中世の段階であることの証左である。その後、イスラームにようやく近代が訪れることになるのである。

質疑応答

 質疑応答では、主として報告者が提示したイスラーム史の時代区分の意味・意義に関する問題とアラビア科学(主として医学)が近代ヨーロッパに与えた影響に関する問題に議論が集中した。まず、イスラーム史の時代区分の意味(何を持ってイスラーム史の時代区分を行ったのか)についての質問については、飽くまで報告者の主観であるが、イスラームが未発達・未形成であった段階を古代、イスラームが内実ともに確立した時期を中世に区分したと返答した。また、日本史の時代区分(奈良時代:古代、平安時代以降:中世、江戸時代:近世)のように、どの地域の歴史の時代区分についてもその地域特有の意義があると思われるが、イスラーム史を時代区分することにはいかなる意義があるのかという質問に対しては、報告者は明確に答えることができなかった。現在、検討中である。また、イスラームがアラビア科学を通じて近代ヨーロッパに与えた影響に関する質問については、報告者は古代ギリシアの古典学術が持っていたエネルギー・魅力といったものが、イスラームに活力を与え、近代ヨーロッパもまた古代ギリシアの古典の力に衝撃を受け、イスラームから古代ギリシアの遺産を取りいれたことを指摘した。報告者は加えて、アラビア科学は、近代科学に繋がるものも多数あるが、呪術・占星術・魔術的な要素も多く、ヨーロッパはアラビア科学の中から近代科学に繋がるものを主として取り入れたことも指摘した。

現代研究会

「文化と社会に関する様々なテーマ、諸問題を取り上げ、過去から未来への歴史的視野で考察し、議論を行う」ことがこの研究会の目的です。