2021年度前期現代研究会発表5 預言者ムハンマドとイスラームの成立
2021年度前期現代研究会発表5
預言者ムハンマドとイスラームの成立
2021年5月8日
茂木明石
いかなる宗教であれ、開祖の性格・特徴がその形成に大きな影響を与えているのは論を待たない。しかしながら、イスラームの場合、開祖である預言者ムハンマドの個人的経験がその形成に特に強い影響を与えているように思える。
それでは、イスラームという宗教の形成の核となったのは、ムハンマドのどのような経験だったのだろうか? それが本発表のテーマである。報告者は、ムハンマドの生涯とイスラームの形成の関係を考える上で三つのポイントが重要であることを指摘した。
第一は、孤児という彼の不幸な生い立ちである。同時にまた、彼が孤児という不幸な境遇に生まれながら、愛情を持って養ってくれる親族に恵まれたことも確かである。そのことが、ムハンマドが、神の恵みに対する感謝と彼自身と同じ境遇にある孤児たちを優しく扱うことに繋がっていく。そして、そのことが、イスラームの五行の一つである喜捨(ザカート)として結実していった。
第二は、ムハンマドが少年期から青年期にかけて、叔父のアブー・ターリブに連れられてシリアへ旅した時に受けたキリスト教の衝撃である。ムハンマドがシリアのキリスト教、特にキリスト教修道士から生涯忘れえぬ大きな影響を受けたことは、すでに学者たちによって指摘されていることであるが、史料的な根拠が何もないため、確実なことは何もない。しかしながら、クルアーンに収録された初期の啓示を読んでみると、ムハンマドがシリアのキリスト教から多大の影響を受けたことは疑いない。
では、ムハンマドがシリアのキリスト教から受けた影響とはどのようなものであったのだろうか? おそらくシリアのキリスト教は、単性論派の色彩の強いキリスト教であったと思われるが、そのようなキリスト教からムハンマドが一神教(唯一神信仰)、終末の日(最後の審判)、福音(愛)などの観念の影響をかなり強くその身体に受けたことは間違いないと思われる。
第三は、ムハンマドがヤスリブへの移住(ヒジュラ、西暦622年)の後にユダヤ教から取りいれた立法である。ただ、本発表では、第一と第二の点に重点を置いて考察したために第三の点及び、ムハンマドによる教団(ウンマ)の建設、メッカの多神教徒、ヤスリブのユダヤ教徒・キリスト教徒との戦い(ジハード)については簡単に触れる程度に留めた。
また、史料的な問題については、ムハンマドの生涯とイスラームの形成・成立の歴史については、ほぼイスラーム側(アラビア語)の史料しかなく、それらの史料の大半は伝説の域を出るものではないので、扱う際には注意を要すること、史実としてあまり鵜呑みにしてはならないことも指摘した。
質疑応答
質疑応答では、報告者が予想していた以上に活発な議論が展開された。主要な論点は、ムハンマドが少年期から青年期にかけて多大な影響を受けたに違いないシリアのキリスト教の性格・特徴、報告者のムハンマド観、メッカ期とヤスリブ移住(ヒジュラ)後のムハンマドの性格の変化、クルアーンの文体のヴァリエーション、イスラームという宗教の性格等に関する諸問題であった。ムハンマドに多大な影響を与えたキリスト教の性格・特徴については、報告者は、おそらくイエスの神性を重視する単性論派に近い性格のキリスト教であったろうと返答した。また、ムハンマドが接触したキリスト教徒の中には、キリスト教に改宗したアラブの人々も少なくなかったであろうことも指摘した。また、参加者からは、史料的な制約のため文献史学として、シリアのキリスト教とムハンマドの宗教運動との関係を実証することは難しいというご指摘もいただいた。
報告者のムハンマド像(イメージ)については、イスラームに厳格になりすぎない柔軟な側面を持つ預言者という報告者なりのムハンマド像を提示した。メッカ期のムハンマド(ごく普通の商人)とメディナ期のムハンマド(政治指導者・軍事指導者)との性格の急激な変化については、その違いはどこから来るのかという質問を参加者から頂いた。報告者は、史料的な制約もあり、正確なところは分からないが、若い頃より商人としてキャラバンを率いてシリアへ行ったムハンマドの経験が、メディナへの移住後、政治指導者・軍事指導者として成長していく過程で生きたのだろうという推測の域を出ない回答にとどめざるを得なかった。加えて、キャラバンを率いる商人は、時と場合に応じて軍隊の指揮官になることはそれほど奇異なことでもないことを指摘した。
クルアーンの文体については、参加者からサジュウ体以外にクルアーンで用いられている文体はあるのか、クルアーンの文句の中で良く使われているものはどのような表現があるのかという質問をいただいた。時間が差し迫っていたためと、報告者自身の頭が疲れていたため「アッラーの他に神はなし(ラーイラーハイッララー)」をはじめとしていくつかの文句を思いつくままに列挙することしかできなかった。
イスラームという宗教の特徴に関する質問は、イスラームは一言で言い表すとすればどんな表現になるかというものであった。報告者は、一言でいえば「一神教(唯一神信仰)」であると答えたが、改めて考えれば、「最も単純化された一神教(唯一神信仰)」ということになろう。
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