2020年度後期発表15 役者と俳優

2020年度後期発表15

役者と俳優

細井尚子

2021年2月20日発表要旨

日本語では、演じる者を表す語として、「役者」と「俳優」がある。役者は日本で生まれた語で、寺社などでなんらかの役目を担う者の意であった。「俳優」は中国からの外来語で、「わざおぎ」と読んだ。中国では「俳」が戯れ・滑稽などを指し、「優」が滑稽なものを演じる演者である。日本ではこの戯れ、滑稽から宗教的空間で神や人を楽しませる行為を行う人の意となった。つまり、日本で演者を意味する語である役者にも俳優にも、本来は宗教的空間を纏うというニュアンスがあったのだが、中世・近世期には役者が宗教的空間を離れ、民間で芝居を演じる者の総称となり、「わざおぎ(俳優)」は日常的には忘れられた語となった。

役者は近代以前に形成された芸態の演者を指すため、能・狂言・歌舞伎・雑芸などの演者を示す。一方「俳優」は、明治以降、西洋を手本とする近代化の下、西洋演劇を学ぶ芝居の演者―「はいゆう(俳優)」として復活した。なぜ明治以降、役者と俳優の二語を必要としたのか。役者はそれを演じる身体をもつ必要があるため幼少期から訓練する必要があり、例えば歌舞伎ならば、日本舞踊を踊れる体、邦楽全般に通じる必要がある。いわばその道の玄人である。一方、俳優は幼少期から、その芸を演じるための体を作る必要はなく、いわば素人で構わない。近世まで、演者は非生産的存在とみなされており、社会的地位も低かった。その影響は昭和になっても残存し、筆者は二代目松本白鴎が一般人と結婚した際、周囲に「へぇ~」という反応があったのを覚えている。けっして報道などで前面には出てこないこの感覚、歌舞伎の演者が一般人と結婚することへの静かな驚き。おそらく1940年代生まれの歌舞伎の演者あたりから、こうした属性の残存が淡白化したのではないかと思われる。その背景には1966年に開場した日本最初の国立劇場が備える養成事業がある。この養成事業は歌舞伎など近世までに成立した諸芸態の演者育成で、いわゆる無形文化の保存事業であり、学費は無料である。一方、1997年開場の新国立劇場の養成事業は、近代化以降に登場する芸態が対象で、こちらはその芸態を牽引する人材養成であり、学費は有料だ。公演状況を見ても、1960年代までの歌舞伎は他芸態とのコラボも盛んで、新作も多かったが、70年代以降、急速に「伝統」化していく。

今回は、近代化の下、役者と俳優、二語を必要とした日本の芸態、1980年代後半以降、グローバル化が娯楽市場にも浸透し始めたことを背景に、この二語の属性が認識されなくなり、演者自身、また演者の周囲の単なる選択になったことなどを手掛かりに、演劇の世界から近代化、グローバル化がもたらしたものについて考えたい。

現代研究会

「文化と社会に関する様々なテーマ、諸問題を取り上げ、過去から未来への歴史的視野で考察し、議論を行う」ことがこの研究会の目的です。