2020年度後期発表4 恐山と曹洞宗

2020年9月19日現代研究会発表要旨

恐山と曹洞宗(恐山は、死もしくは死者と向き合う場所であること)

冨田了芳子

8歳。父の死により生活そのものが、曹洞宗のしきたり。仏教を受け入れる一方で、満たされないものがあった。毎日、経を唱えても、父に会えるわけではない。12歳。父の墓を青森に。死者と出会えると言われる恐山に、叔父一家に連れて行ってもらう。前知識がないまま恐山の地に立つ。今回。恐山の地形、歴史、様々なことが明らかに。恐山の印象だけが、脳裏に残っている。暗く陰惨な地。開祖は、円仁。今回円仁については、些細に書かなかったが、予想外に面白い人物像が浮かび上がった。恐山の評価は、霊場、霊地、霊山において、すべてトップ3に入っている。パワースポットとパワーレススポットの定義についても書いてみた。仏教(宗教)の中の原始性についてみても書いてみた。民間信仰は、宗派にかかわりなく根底にある。そして、曹洞宗の南直哉氏もイタコの口寄せに来る人々を否定せず共存する方向性を持っている。死もしくは、死者に対するは、大古から感覚され、実在であり、死者が必要であることは、海外も日本でも、共通認識かもしれない。恐山に人々が吸い寄せられる理由についても書いてみた。吉祥山圓通寺は、恐山の中にある曹洞宗の寺である。円仁の浄土宗から、時の権力者の変遷により、宗派が変わったが、恐山そのものは変化しない。イタコ、色弱な女性の生業として成立した。現在人口減少、高齢化している。イタコに会いに来る人は、イタコを通して死者を呼んでもらい、現宗教では満たされない気持ちを静める。恐山にやってくる人は、様々で雑多である。恐山信仰は、やってくる人たちが作り出すものであって、教義や原理では推し量れないもの。曹洞宗檀信徒修証義第一章は、私の愛読するお経。(私の解釈では)仏さえいれば、生死を区分するまでもなく、生死どちらでもない状態であり、生きた死んだと毛嫌いするものでもない。そうすれば、生き死にの問題から離れられ、因縁だと思えばいい。(私の解釈) 

曹洞宗の若い僧侶は、恐山は知っていても、その中に、曹洞宗の寺があることを知らなかった。総持寺の大規模な葬儀の荘厳さを語る一方で,見栄で、金持ちが、わざわざ総持寺を選ぶ。仏心もないのに。本編には、入れなかったが、この客観性は、おもしろかったので、まとめの文の末端に入れることにした。以上

現代研究会

「文化と社会に関する様々なテーマ、諸問題を取り上げ、過去から未来への歴史的視野で考察し、議論を行う」ことがこの研究会の目的です。