2020年度後期発表3 『古事記』と神道

現代研究会

2020年9月19日

桑原真弓

『古事記』と神道

要旨

日々宗教を意識することなく生活をしてきた。自分は仏教徒であるとは思っていたが、初めて親族が亡くなった二十歳過ぎまでは、果たしてその宗派が何かまでは考えたことはなかった。が、神式で結婚式を挙げ、子どもが生まれれば神社にお宮参りに行き、法事があればお寺を訪れた。両親は四国出身で、幼い頃から帰省のたびに道行くお遍路さんを目にしてきた。先祖の中にはお遍路さんのお接待をしていた家族がいたそうである。どうやら知らず知らずのうちに宗教に触れてきていたようだ。クリスマスを祝い、それから1週間もしないうちに今度は神社に初詣に行く。当たり前のこととして毎年まだ夜も明けぬうちに行列をなして向かうが、大勢のイスラム教徒がメッカに向かう様子を見ると大変な宗教を信仰しているのだなと思う。滑稽なようであるが、これが平均的な日本人の信仰の姿ではなかろうか。

『古事記』は自国の原点が書かれているものだが、明治以降は近代天皇制と結び付けられ戦争翼賛のように読まれていたため、第二次世界大戦後は軍国主義の復活を防ぐということで教科書から消された。それ故、筆者は『古事記』に出てくる話はおとぎ話として断片的に知るのみであった。通訳案内士として日本固有の宗教である神道を説明する場合、キリスト教などと比較して話すと外国人にも理解しやすいのではないかと考え、天地創造が描かれ、アダムとイブのようにイザナギ、イザナミから始まる『古事記』は旧約聖書のようなものではないかと極々浅い知識から想像した。が、読み進めるうちに、これらは全く別物であることを知る。聖書ではなく、神話である。『古事記』の大半は神々の話ではあるが、超人的な力を持つ神はおらず、失敗しながら協力し合って働く。下巻は実在した天皇たちの話ではあるが、その業績というよりお家騒動が目立つ。これを読んで神道に改宗しようという異教徒はいないであろうが、それ故に愛おしさを感じたこの神々の物語『古事記』を通して、改めて神道とは何かを考えていきたい。

現代研究会

「文化と社会に関する様々なテーマ、諸問題を取り上げ、過去から未来への歴史的視野で考察し、議論を行う」ことがこの研究会の目的です。