2020年度後期発表01 「仏教の基礎知識」発表概要

2020年度後期発表01 「仏教の基礎知識」発表概要

大正大学綜合佛教研究所 研究員 平林二郎


 仏教は日本人にとって比較的身近な宗教であると思う.しかしながら,仏教の思想や術語については,その内容を知らない人も多く,一般書の解説などにさえも誤りが散見される.

 そこで本発表では,仏教という術語,ならびに,すべての仏教に共通する「三宝」(仏・法・僧),如来,菩薩という基礎的な術語について検討した.ここでは発表内容の概要を紹介したい.


・仏教

 仏教という術語は,宗教という術語が広まるとともに使用されるようになった言葉であり,明治以前は仏道・仏法などと呼ばれた.

 仏教といってもその思想や内容は時代や地域ごとに変遷しており,多くの差異が見られる.仏教学では,仏教を初期仏教,部派仏教(小乗仏教),大乗仏教,密教などに区分しており,「仏教」と言う場合には「どの時代,どの地域の仏教なのか」を明確にする必要がある.


・仏

 仏は(真実に)目覚めた者,さとった者を指す術語である.

 仏は仏陀の略語であり,仏陀はサンスクリット・パーリ語のbuddha-を漢訳したものである.サンスクリットのbuddha-は√budh(目覚める)のp.pt.であり,それを「覚者」と男性名詞で用いたものである.

 上座部などは過去仏・現在仏・未来仏など同一空間・同一時間には一人の仏しか存在できないという「一世界一仏」を説いた.一方で大衆部は,他の世界があり,その複数の世界には複数の仏が存在できるという「多世界多仏」を説いた.大乗仏教でも東・南・西・北・東南・西南・東北・西北・上・下の十方,つまり,あらゆる世界に仏が存在できると説いている.

 一世界一仏と十方諸仏については,岩井昌悟教授(東洋大学)が解説動画を上げているのでご覧いただきたい.

(http://www.toyo.ac.jp/nyushi/column/video-lecture/20180411_01.html)


・如来

 仏教には仏の呼び方として以下の10種があるとされる.

  ⑴ 如来(tathāgata-)

  ⑵ 応供(arhat-)

  ⑶ 正遍知(samyaksambuddha-)

  ⑷ 明行足(vidyācaraṇasaṃpanna-)

  ⑸ 善逝(sugata-)

  ⑹ 世間解(lokavid-)

  ⑺ 無上士(anuttara-)

  ⑻ 調御丈夫(puruṣadamyasārathi-)

  ⑼ 天人師(śāstā devamanuṣyāṇām)

  ⑽ 仏世尊(buddha-, bhagavat-)

 この10種の呼び方をことを仏十号といい,如来はそれらのうちの1つであるとされる.

 如来の原語はtathāgata-であり,tathā(ind. そのように; 如)とāgata-(ā + √gam p.pt. 来る)の複合語で「如く来りし者」と考えられるのが一般的である.

 tathāgata-は漢訳では如去とも訳される.この場合はtathā(ind. そのように; 如)とgata-(√gam p.pt. 行く,去る)の複合語で「如く去りし者」と考えられる.チベット語のདེ་བཞིན་གཤེགས་པ་もདེ་བཞིན་ = tathāとགཤེགས་པ་ = gata-の複合語であり,チベットではtathāgata-を如去と考えていたようである.

 パーリ聖典のDīgha-Nikāya(DN III p. 135.16–18)には「yathā-vādī Cunda tathāgato tathā-kārī, yathā-kārī tathā-vādī. iti yathā-vādī tathā-kārī, yathā-kārī tathā-vādī, tasmā tathāgato ti vuccati(チュンダよ,如来は語る通りそのように行い,行う通りそのように語る.そう語る通りそのように行い,行う通りそのように語る,それ故に「如来」と言われる)」とある.この内容などを踏まえ,tathāgata-をtathā(ind. そのように; 如)とāgada-(Pāli āgada 語)の複合語(tathāgada > tathāgata)であると考え,「如実語〔を語る者〕」が如来の意味であると考える学説(『望仏』p. 4141)があることは注目に値する.


・菩薩

 菩薩はbodhisatva-(Skt.)/ bodhisatta-(Pāli)が菩提薩埵と漢訳され,それを菩薩と略した言葉であると考えられている.(他にも諸説あり.中村・三枝『バウッダ』p. 277)

 大乗仏教などでは,bodhi-(菩提,覚り)とsattva-(衆生・有情)の複合語がbodhisat(t)va-であり,菩薩は「菩提を求める者」などと考えられるのが一般的である.

 しかしながら,Dīgha-nikāyaの注釈書であるSumaṅgala-vilāsinī(II 427.8–10)には「bodhisatto ti paṇḍita-satto bujjhanaka-satto; bodhi-saṅkhātesu vā catūsu maggesu satto āsatto lagga-mānaso ti bodhisatto(菩薩とは,賢い衆生,目覚めた衆生である,もしくは菩提と呼ばれる4つの道に執着し,固執し,付着の心〔を有する者〕というのが菩薩である)」とあり,bodhisatta-をbodhi-(菩提,覚り)とsatta-(sakta- Skt. √sañjのp.pt. =  執着した)の複合語とし,「菩提に執着する者」と考える説もある.

 大乗仏教において菩薩という言葉は覚りを得ようとする仏教修行者を指す.一方で小乗仏教においては,500人の盗賊の首領となり,追い剥ぎや強盗などをして生計を立てた菩薩のジャータカ(Satapatta-jātaka, Ja no. 279)なども見られことから,菩薩という言葉は未熟な者にも使用されていた.


・法

 仏教で使用される法の原語はdharma-(Skt.)である.dharma-は√dhṛ(保つ)に-man suffixを付したdharman-から派生した男性名詞であり,原義では「保つもの」を意味している.

 ヴェーダ文献においては,宇宙全体の法則・秩序がṛta-(天則)であり,宇宙全体の個別の法則・秩序などがdharma-(法)であり,個別の掟・人の職務・義務・宗教的責務などがvrata-(法度)であると考えられていた.

 後代になるとdharma-の使用範囲が広くなり,人にも多く適用されるようになる.仏教ではそのdharma-を主要な術語として使用し,真実,正しいもの,徳性(性質),仏の教え(経・教説)などの意味で使用するようになった.

 法は仏教の経典を指す重要な言葉ではあるが,発表時間に制限があることから詳細な検討は行わず,初期仏教経典は阿難(Ānanda)が聞いた釈迦牟尼の直説であり,大乗経典は釈迦牟尼の滅後に仏教者が作成したものであるという説明に留めた.


・僧

 三宝の僧の原語はsaṃgha-(Skt.)である.saṃgha-はsaṃ+√han(一緒に置く,合わせる)を男性名詞化した言葉であり,集まり,共同体,衆など意味する.仏教ではそれを僧伽と漢訳し,仏教教団(僧団)の意味で使用した.

 本発表では仏教の僧伽には,我々の目の前に存在している現前僧伽(sammukhībhūta- Pāli)と,過去・現在・未来を含む仏教世界全体を僧伽として考える四方僧伽(cātuddisa- Pāli)という考えがあることを紹介した.

 在家者は僧団に施物を布施することで功徳が得られると考え,僧(出家者)はその施物によって生活基盤を築いていた.また法施という視点からみると,僧(出家者)にとっても僧団を支える在家者などに法を説く機会は重要なものであったのではなかろうか.




使用テキスト・略号

・パーリ文献のテキストはPTS版を使用した.各テキストの詳細はCritical Pāli Dictionaryを参照のこと.

・Skt. = Sanskrit

・『望仏』=望月信亨ほか『望月仏教大辞典』,世界聖典刊行協会,1932–1964.

参考文献・参考論文

・井狩彌介『インド法典と「ダルマ(dharma)」概念の展開——ヴェーダ期,ダルマスートラを中心に——』,龍谷大学現代インド研究センター,2011.

・佐々木閑『出家とはなにか』,大蔵出版,1999.

・岩井昌悟「一世界一仏と多世界多仏」,『東洋学論叢』36,164–138,2011.

・杉本卓洲「パーリ仏典に見られる菩薩」,『パーリ仏教文化学』1,97–120,1988.

・中村元・三枝充悳『バウッダ[仏教]』,講談社,2009.

・馬場紀寿『初期仏教:ブッダの思想をだどる』,岩波書店,2018.

・水野弘元『仏教の基礎知識』,春秋社,1971.

・水野弘元『仏教要語の基礎知識』,春秋社,1972.

・森章司「「現前サンガ」と「四方サンガ」」,『東洋学論叢』32,134–114,2007.

現代研究会

「文化と社会に関する様々なテーマ、諸問題を取り上げ、過去から未来への歴史的視野で考察し、議論を行う」ことがこの研究会の目的です。