2018年度前期発表4 正義について ①

平林二郎

2018年,ウェブスター辞書で有名なアメリカのメリアム・ウェブスター社は今年の単語と

して“Justice”を選出した.

(https://www.merriam-webster.com/words-at-play/word-of-the-year-2018-justice)

Our Word of the Year for 2018 is justice. It was a top lookup throughout the year at Merriam-

Webster.com, with the entry being consulted 74% more than in 2017.

The concept of justice was at the center of many of our national debates in the past year:

racial justice, social justice, criminal justice, economic justice. In any conversation about these

topics, the question of just what exactly we mean when we use the term justice is relevant,

and part of the discussion.

This year’s news had many stories involving the division within the executive branch of

government responsible for the enforcement of laws: the Department of Justice, sometimes

referred to simply as “Justice.” Of course, the Mueller investigation itself is constantly in the

news, and is being carried out through the Justice Department. Another big news story

included yet another meaning of the word justice, as a synonym or title for “judge,” used

frequently during the Kavanaugh confirmation hearings for the Supreme Court.

Justice has varied meanings that do a lot of work in the language—meanings that range from

the technical and legal to the lofty and philosophical. For many reasons and for many

meanings, one thing’s for sure: justice has been on the minds of many people in 2018.

上記,メリアム・ウェブスター社がこの単語を選定した理由に見られるように,今年,アメ

リカでは人種的正義,社会的正義,刑事司法上の正義,経済的正義など,多くの正義が問わ

れ,議論された.

しかし,アメリカで行われている正義に関する議論を見ると,私には「何が正義なのか」わ

からない部分も多い.

今年,多くの人がJusticeという単語を調べたことを見ると,やはり,Justiceとは何かがわ

からなかったのだろう.


それではまず,Justiceとは何か,この単語の意味について調べてみたい.

Justiceの語源はラテン語の√iūs (= jūs)であり,√iūsはRightやLawなど意味している ※1

また,Justiceの一般的な訳語である「正義」の解字を見てみると,

「正」は他の国に向かって「まっすぐ進撃すること」を意味しており,

「義」は羊をいけにえにして刃物で殺すさまから,

「厳粛な作法にかなったふるまい」を意味している ※2

また『大漢和辞典』を見ると「正義」は「ただしいすぢみち」や「正しい議論」とある※3 上記を見る限り,西洋では正しいこと,法律に適うことが正義であり,

東洋(日本や中国)では正しい道筋に沿った行動,もしくは,正しい議論が正義ということ

になるのであろう.

Justiceと正義の定義を見る限り,正しい(行動)という点では西洋も東洋も同じ意味合い

を有しているが,法律に適うことが正義であるという点については西洋と東洋で異なってい

る.

つまり,Justiceと正義は広義では同じ意味を有しているが,狭義ではその内容が種々異な

っているのである.

その差異がJustice・正義をさらにわかりづらくしているのだろう.


アメリカの正義とは何か

2010年,マイケル・サンデルのJustice : What‘s the Right Thing to Do? ※4 (『これからの「正義」の話をしよう:いまを生き延びるための哲学』 ※5 )がベストセラーとなった.

この本でサンデルは,アメリカで起こった事例などを挙げ,正義に関する考えたかを

①幸福の最大化

②自由の尊重

③美徳の涵養

の3つに分け紹介している.


①幸福の最大化について

サンデルの言う「幸福の最大化」はジェレミ・ベンサムの「最大多数の最大幸福」や「功利

主義」の立場を指している.

サンデルはこの問題を扱う際に「トロッコ問題」 ※6 や「ミニョネット号事件」 ※7 などを例に挙

げ,

功利主義が個人の権利を尊重しない点や,幸福を一定の尺度で測量できない点などからこの

考え方を否定している.

②自由の尊重について

上記の功利主義の立場に立てば,幸福の最大化という点から富の再分配が正当化される.

しかし,自由を尊重する立場の1つ,リバタリアニズムにおいては「働いて得た所得への課

税は強制労働を強いることと同じである」として富の再分配が否定される.

そう,リバタリアニズムは個人の自由から制約のない市場を擁護するのである.

このリバタリアニズムに対して,サンデルはアメリカの志願兵制を例に挙げ選択肢が限られ

た人にとっては自由市場に自由がないと反論する.

また,サンデルは代理出産を例に挙げ金では買えない美徳やより高級なものは存在すると反

論する.

自由を尊重する立場にはリバタリアニズムの他に,普遍的な人権を尊重するリベラリズムが

ある.

リベラリストを代表するジョン・ロールズは正義に関する2つの原理を提唱している.

以下がその2つの原理である ※8 .

第一原理

各人は基本的自由に対する平等の権利をもつべきである。その基本的自由は、他の人々

の同様な自由と両立しうる限りにおいて、最大限広範囲にわたる自由でなければならな

い。

Each person has an equal claim to a fully adequate scheme of basic rights and liberties,

which scheme is compatible with the same scheme for all; and in this scheme the equal

political liberties, and only those liberties, are to be guaranteed their fair value.

第二原理

社会的・経済的不平等は次の二条件を満たすものでなければならない。

それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること。(格差原理)

公正な機会の均等という条件のもとで、すべての人に開かれている職務や地位に付随す

るものでしかないこと。(機会均等原理)

Social and economic inequalities are to satisfy two conditions: first, they are to be

attached to positions and offices open to all under conditions of fair equality of

opportunity; and second, they are to be to the greatest benefit of the least advantaged

members of society.

ロールズは格差原理に基づく平等を唱え,才能を持った者はその才によって報酬を得て,貧

者にそれを還元するべきだとした.

ロールズはこの原理を提唱する際,自分が社会的強者か弱者か立場がわからない状態に置か

れれば,人は自分が不利益を被らない合理的な選択をするという「無知のヴェール」という

思考実験をおこなった.

この無知のヴェールについて,サンデルは現実には如何なるコミュニティーにも属していな

い人はおらず,人は家族・地域共同体・国・民族・宗教などの特定の属性をもつ「位置づけ

られた自我」を基盤としているとして,ロールズの考えを「負担なき自我」だと否定してい

る.

③美徳の涵養

ロールズの考えを「負担なき自我」だと否定したサンデルはコミュニティーに宿る美徳を涵

養すべきだというコミュニタリアニズムに近い立場を取る.

このコミュニタリアニズムという立場はアリストテレスの

1. 正義は目的にかかわる.

2. 正義は名誉にかかわる.

というこれら2つの考えを基にしている.

そして,アリストテレスは人間の目的因は政治にあり都市国家に住み,政治に参加すること

でしか,われわれは人間としての本質を十分に発揮できないとしている.

アリストテレスにとって政治とは(善く)生きる術を学ぶためにあり,

政治は(善良な)生活に欠かせないものなのである.

ここまでのアリストテレスの考えは私でも理解できる.

しかし,政治を学び,政治を学ぶことで得られる美徳を涵養するために,アリストテレスは

奴隷を使ってもよいという.

強制せずに奴隷の仕事をする者がいれば,それがその人の役割であると考えるのである.

それでは,何の理由もなく積極的に奴隷の役割を行う者がいるのか.

サンデルはロールズの無知のヴェールを現実を離れた思考実験と否定したが,

何の理由もなく積極的に奴隷の役割を行う者がいなければ,つまり,コミュニティーの雑務

を担うものがいなければ,そのコミュニティーは成り立たないのではなかろうか.

以上,①幸福の最大化,②自由の尊重,③美徳の涵養という3つの正義に関する考えたかを

簡単に紹介した.

ではサンデル自身はどう考えているのか.

サンデルはコミュニタリアニズムに近い立場を取るが,厳密には正義について話し合うこと

こそが重要だという立場を取っている ※9 .

「ハーバード白熱教室 in JAPAN—東大TV」のなかでサンデルは「日本への原爆投下にさい

してオバマ大統領は責任をとるべきか,謝罪すべきか」を議論させている ※10 .

ここで東大の学生たちはさまざまな意見を述べるが,サンデルは「責任をとるべきか,謝罪

すべきか」自分の意見を言わないまま,

何よりも感動的で刺激的だったのはここにいる君たちと2つの講義で行なった議論が哲

学は世界を変えることができると示してくれたことだ.君たちは意見を闘わせ正義につ

いて共に考える力をみせてくれた.どうもありがとう.

と言って議論を終わらせている.

正義について議論すること,これは確かに重要であると思う.

しかし,この問題を考える限り,私にはサンデルよりも‘Reflections on Hiroshima: 50 Years

after Hiroshima’ 11 を論文として発表したロールズに正義があると思われる.


※1: Oxford Latin Dictionary p. 1019.

※2: 「正」については『大漢語林』p. 768を参照.「義」については『大漢語林』p. 1132を

参照.

※3: 『漢語大辞典』6.662を参照.

※4: Justice : What‘s the Right Thing to Do?, Farrar & Giroux, 2009.

※5: マイケル・サンデル著,鬼澤忍訳,『これからの「正義」の話をしよう:いまを生き延

びるための哲学』,早川書房,2010.

※6: サンデル [2010: pp. 32–35]を参照.トロッコ問題

※7: サンデル [2010: pp. 44–47]を参照.ミニョネット号事件

※8: wikipediaのジョン・ロールズを参照

※9: 「困難な道徳的問題についての公の討議が,いかなる状況でも同意に至るという保証は

ないし,他者の道徳的・宗教的見解を認めるに至る保証さえない.道徳的・宗教的教条を学

べば学ぶほどそれが嫌いになるという可能性は,常にある.しかし,やってみないことには

,わからない」(サンデル [2010: pp.344–345]を参照).

※10: http://todai.tv/contents-list/2010-2012FY/sandel/1?p=8

※11: https://www.dissentmagazine.org/article/50-years-after-hiroshima-2

現代研究会

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