2022年度後期現代研究会発表4 神皇正統記――北畠親房――
2022年度後期現代研究会発表4
神皇正統記――北畠親房――
2022年9月24日
竹内和正
『神皇正統記』は著者の北畠親房(1293-1354)と共に高等学校の教科書に載っているようだが、その書物には一体何が書かれているのだろうか。また、この書は神道史にも登場しはするが「北畠神道」の名で派をなしてはいないようである、どんな神道だったのか。こうした疑問に対し現代の神社本庁による『わかりやすい神道の歴史』(2022年)は「建武の中興と南北朝の騒乱は、我が国の歴史を考える上で、重要な神国思想並びに皇統の正統性と三種の神器の関りについて大きな指針を与える出来事であり、特に北畠親房の著した『神皇正統記』は、この点が明確に語られると共に、後世に多大の影響を与えた。」としている。漢字仮名交じり文によって神代から後村上天皇までの日本の歴史を年代期の形式で記し、皇位継承の経緯を説く。そのことをもって正統記としているのである。
北畠親房は村上源氏に属する南北朝時代の貴族であり武将であった。建武新政権が成ると後醍醐天皇に仕え、子息の北畠顕家と共に、後に後村上天皇となる義(のり)良(よし)親王を奉じて陸奥に下向する。翌年西上、足利尊氏によって花山院に幽閉されていた後醍醐帝を密かに吉野山に迎え南朝を立てた。その後義良親王の東下に伴い常陸小田城に入り、ここを根拠に北朝方と闘う。この間に表したのが『神皇正統記』である。後敗れて吉野へ帰り、南朝の政治軍事の中心的存在となる。没年月日、場所は不分明であるが、1354年や大和説が有力である。
『神皇正統記』では年代記の中で時に「神国論」や「三種の神器論」が論ぜられる。神国論は有名な「大日本国は神国なり。天祖(国常立尊)初めて基をひらき、天照大神から長く統治を伝えてきた。外国には例がない。そのことから神国という。」との冒頭の言で表され、我が国が神代から続く王朝であるとする主張である。
また、三種の神器論は、三神器について、鏡は私心なく、万象を照らす時は是非善悪の姿を現わす物で、姿への感応が正直の本源であるとする。玉は柔和善順を本性とし、慈悲の本源である。剣は剛利決断を本性とし、智恵の本源である。この三徳を持ち合わせなくては、天下を治めるのは難しいだろう、ということになる。この他、政道を論じ、為政の心得を論じ、院政を論じ、果ては建武中興の失敗理由まで論じられている。
ところで神皇正統記に対する後世の評価の中で意外だったものは丸山真男の「神皇正統記に現はれたる政治観」という1942年の論稿で、「己が欲をすて、他人を利するを先とする」という「正直」の徳をこの『神皇正統記』に見出し、最後は以下のように高く評価していることであった。
「しかし、政治的実践の成否はいかにもあれ、つねに「内面性」に従って行動することの価値を説き自らもそれに生きぬいた思想家としての北畠親房は幾百年の星霜を隔ててなお我々に切々と呼びかけている。」
そうかも知れない。
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