2021年度後期現代研究会発表11 日本語にみる日本人の心 -2 文法 ~言語間の違いを見つめて~

2021年度後期現代研究会発表11

日本語にみる日本人の心 -2 文法 ~言語間の違いを見つめて~

2021年12月18日

平明子

日本には古くから自然発生的に生じた信仰が根付いている。この自然信仰は日本人の生活様式全般やものの考え方に大きな影響を与えている。そして同時に生活様式やものの考え方を保持・継承するためには言語が非常に重要な役割を果たすことは言うまでもない。

形態論的観察において、日本語の語彙には日本人の自然愛、季節愛を見て取ることができる。統語論的にはどうであろうか。統語論とは大まかに言葉の文法規則、語順のことであるが、ここに文化的要素を見て取ることはできるのだろうか。前回、2021年6月の発表に続き、本発表でも言語の観察を通して日本人の心について考察を進めた。

英語と日本語には多くの違いがある。例えば、英語の主語と目的語/補語は動詞を中心として語順が決定し、それ以外の名詞については【前置詞+名詞】の形で文中での役割を示す。それに対して日本語は、名詞はすべて【名詞+助詞】の形でその文中での役割を示す。助詞が名詞の役割を示すことから、語順についての制約が少ないということも言える。また、動詞に付加することができる要素も大幅に異なる。英語の動詞に付加できるのは人称(drink/ drinks)と時制 (drank) であるのに対して、日本語では、時制(食べる/食べた)の他、食べない、食べるだろう、食べられる、食べよう、食べさせる、食べさせられるなど様々な要素が付加される。日本語話者はこのように、助詞そして動詞の付加要素を細かく使いこなしているのである。

語順や動詞以外にも大きな違いがある。芳賀氏は映画『モロッコ』のセリフ「I changed my mind.」というセリフが「気が変わった」と訳されていることをその例にあげて説明している。英語では「I」私という動作主とchange(d) という<行為>が表されているが、日本語訳に動作主は示されず、(気が)変わったという<状態>が表されている。日本語話者ならだれでも「私は自分の気持ちを変えた」と訳すよりも、「気が変わった」という方がずっと自然な訳であると感じる。つまり、英語が「誰が何をするか」を明確に示す<動作主指向型>言語であるのに対して、日本語は「何がどうなるのか」を示す<出来事・状態把握型>言語なのである。「私がお茶を入れました」と言うより「お茶が入りました」と言う方が自然に感じるし、「私たちは6月に結婚します」と言うより「私たち、6月に結婚することになりました」と言う方がしっくりくる。この「何がどうなるか」という叙述の展開は自然現象のような言い方で、ここにアニミズム的思考との関連を考えたくなるのだが、芳賀氏がご指摘する通り、やはり言語的特徴と文化的・民族的特徴を直接的に結び付けることには無理がある。民族の思考や行動のベースにある「ものの見かた」を言語表現を通して垣間見ることができるだけなのである。

日本には古くからの自然信仰・神道的信仰がある。多神教は概して寛容であるとされており、実際、私たちは「神仏の御加護を…」とか「神も仏もあったものか」といった表現にあまり抵抗がない。また、「仏さん」や「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」などという表現や、宗教が笑いのネタになった話を耳にすることもある。何か一つを絶対的な存在として神聖視する姿勢はない、それが多くの日本人の宗教観なのかもしれない。次に、自然との調和・自然愛についてであるが、これは前回の発表でみたように語彙にその多くの特徴を見て取ることができるが、文法構造そのものと結びつけることは難しい。しかし、本発表で見たように、助詞や動詞に付加する要素を絶妙に使いこなしているという点、そして<出来事・状態把握型>言語であるという特徴に、日本人の思考の型を見て取ることができる。「このお菓子、おいしいですよね」…文末助詞による感情の共有、「お伝えしそびれてしまったようで失礼しました」…他者尊重、「結婚することになりました」…オノズカラを好む気質、これらはすべて日本人らしい思考から生まれる日本語表現であると言えるのではないだろうか。コロナウィルス関連のニュースでニューヨーク市長が「我々はウィルスに打ち勝つ」という表現を用いていたが、もし同じ状況を日本人なら「ウィルスに負けるな」と表現するのではないかと思う。「貧しさに負けるな」、「苦境に負けるな」、「自分に負けるな」など、よく耳にする表現であるが、動作主や行為を明確に示さず、出来事や状況について述べる叙述展開の特徴が表れているように思える。統語的観察では見えないものも、こうして視野を広げてみると、やはり日本語には日本人の「意識と行動の型」が多く表れているということがわかった。

現代研究会

「文化と社会に関する様々なテーマ、諸問題を取り上げ、過去から未来への歴史的視野で考察し、議論を行う」ことがこの研究会の目的です。